子育てに仕事にせわしなく追われながら日々繰り返される「日常」。ある小児科医がこれまでに出合った光景は、その何気ない「日常」がどれほど幸せなものなのか、立ち止まってかみ締め、向き合う機会を与えてくれます。書籍『君がここにいるということ』(草思社)に収録された5つの物語を、5回にわたってお届けしてきました。
 最終回となる今回は、生まれたときから三重苦で、7歳のときに重症心身障害児施設に入所し、16歳にして新たな発達の扉を開いた少女とそれを支えた言語聴覚士の物語です。

生まれたときから三重苦

 大学病院から転勤になり、新たに働き始めた重症心身障害児施設にある少女がいた。加寿代ちゃん、16歳。

 彼女がこの施設に入所してきて、9年が経ったが、加寿代ちゃんが入所してから、彼女の親は一度も会いに来たことはない。加寿代ちゃんは、生後すぐに両親から養育を放棄され、保護施設に入所した。その後もさまざまな施設に回され、7歳のときにたどり着いたのがこの重症心身障害児施設だった。施設から道ひとつへだてた養護学校へ彼女は毎日通う。

 加寿代ちゃんには重度の知的障害があった。しかし、その障害は、先天的なものなのかどうかは不明だ。というのも、加寿代ちゃんは生まれつき目が見えないし、耳も聞こえない。そのために口もきけない。三重苦である。生まれつき、音と光のない世界に閉じ込められた人間の成長が、どれだけ困難かは、少し考えればわかる。人間の脳は、外界からの刺激があって、初めて発達していくのである。

13世紀頃に乳児院で行われた実験

 医学生のときに読んだ本の中に、こんなエピソードがあったのが、今も強く印象に残っている。13世紀頃の、確かドイツでの話だったと記憶している。

 当時のヨーロッパでは捨て子が多く、捨て子を育てる乳児院がたくさんあったそうである。ある学者が、新生児が生後に受ける刺激の違いによって、発育にどのような影響が及ぼされるかを調べるために、乳児院にいる赤ん坊を使って実験をした。一方のグループの赤ん坊には、乳母が声をかけながら母乳を与えた。他方のグループの赤ん坊には、哺乳や入浴は完全にさせるが、声かけや抱っこなどのスキンシップをいっさい禁じた。両グループにはどのような差が出たか。

 この実験を企てた学者はもともと、両グループでの言語発達の差を見ることが目的だったらしい。ところが結果的には、言語発達どころか、もっと決定的な差が現れた。声かけやスキンシップをいっさい受けずに育てられた赤ん坊は、ほとんど全員が死亡したのである。

 この実験結果は、私たちにいろいろなことを示唆する。赤ん坊にとって声かけや肌の触れ合いなどの外界からの刺激は、いわば心の栄養とも言うべきものであって、栄養学的な栄養以上に必要不可欠なものなのだ。人間は愛情がないと生きていけないのである。仮に生き延びたとしても、取り返しがつかない重い障害を脳と心に刻み込むだろうことは想像に難くない。