自分に残された感覚である嗅覚と触覚を総動員させ……

 加寿代ちゃんは、手に触れたものを何でも口に入れてしまう。うっかり職員が近くにおいたティッシュペーパーなども、口に詰め込む。運動場にしゃがみこめば、土を食べる。花や雑草なども加寿代ちゃんにとっては、食べ物である。音も光もない真っ暗な世界の中に生きる加寿代ちゃんにとって、自分が生き延びる術は、手当たり次第に食べることしかなかったのであろう。

 ある日私は、我が家で飼い出したばかりの子犬を施設に連れて行き、加寿代ちゃんに抱っこさせてみた。おそらく彼女はそれまでの人生の中で、自分よりも小さな、温かい血の通った命あるものをその腕に抱きとめたことがなかっただろうと思い、小さな命を抱くことで、彼女の心に何か変化が起きないかと考えたのである。

 差し出した両腕に子犬をのせられた加寿代ちゃんは、明らかに戸惑っていた。彼女は、自分に残された感覚である嗅覚と触覚を総動員させていた。犬のにおいをくんくん嗅ぎながら犬の手触りを味わっていた。次の瞬間、加寿代ちゃんは子犬を思いっきり嚙んだ。悲鳴をあげる犬と、あわてて加寿代ちゃんから犬を引きはがそうとする職員。ちょっとした騒ぎになった。

 加寿代ちゃんに、子犬をかわいいとか愛おしいと思うような感情があるかどうかはわからない。それどころか、加寿代ちゃんは、犬というものがこの世に存在することすらおそらく理解していないだろう。彼女にとって、口に入れたり嚙むという行為は、彼女の残されたすべての感覚を総動員させて、それが何であるかを理解するための、彼女なりの手段だったのだろう

 加寿代ちゃんにはもうひとつ、職員を悩ませる問題行動があった。自分が出した便を自分の服や布団や壁になすりつけるのである。

 これは、障害児だけでなく認知症のお年寄りにもしばしば見られる行動である。なぜこのような行動をとるのかは不明だ。しかし、加寿代ちゃんの場合、何となく理解できるのだ。目が見えない彼女にとって、手に触れるものが一体何であるかはわからない。唯一わかるのは、自分の体から出てきた便なのである。彼女にとって絶対に安全で安心できる唯一のもの。それが自らが出した便なのだ。