3度の日本在住経験の中で、専業主婦の経験も
アビゲイル・フリードマンさん。The Wisteria Groupの創立者兼CEO。外交官として25年間勤務し、日本在任の経歴もある
羽生編集長 アビゲイルさんは日本に在住していた経験もあり、俳句を本格的にたしなんで著書も出版されている日本通です。外交官としても長いキャリアをお持ちですが、仕事で日本に住んでいたのですか?
アビゲイル・フリードマンさん(以下、フリードマン) 最初に日本に住んでいたのは1986年のことで、夫が英語教師として広島に赴任したのがきっかけです。当時私はアメリカで弁護士をしていたのですが、夫は日本についての知識や強い憧れがあり、広島での仕事のオファーは大きなチャンスだったのです。私は日本についての知識はありませんでしたが、個人事務所をたたんで、夫に付いていくことにしました。そのときは新婚で、私は妊娠1カ月でした。その後、広島で長男を出産し子育てをしました。結局、1980年代、1990年代、2000年代に日本に在住しています。
各年代を過ごしてみて、最初に言いたいのですが、日本は良い方向に変化していると思います。
──最初の日本在住のときは、専業主婦だったということでしょうか?
フリードマン アメリカの弁護士資格は日本では使えず、1980年代の日本で、妊婦を雇う会社はありませんでした。それで私は、日本語のレッスンに通いながら専業主婦になって子育てをしていたんです。当時31歳。外で働いていない状態は、社会に出てから初めてでした。
子どもと向き合えるなど、いいことも多かった反面、私の中で「働きたい」という強い気持ちが芽生えていき、日本語のほかにも様々な勉強をしていました。ある夕方、母乳を飲ませるのに悪戦苦闘している私を見ながら、夫は「君は主婦の役割には向いていないと思う」と言いました。(国務省)外交局に連絡するべきだと。実はアメリカ国務省の試験に受かっていたのですが、何となく気乗りがしなかったのです。
それからまもなく、私たちはアメリカに戻り、私は国務省に入省しました。夫はパートタイムで働きながら子育てをするようになりました。私たちは国務省時代に2番目の子どもを養子として迎え、1993年に外交官として東京に赴任していたとき3番目の子どもを出産しました。
次ページから読める内容
- 「家事をやってくれそうな男だから」結婚したわけではない
- ワーク・ライフ・バランスからワーク・ライフ・インテグレーションへ
- アメリカでも、女性リーダーは「男性の模倣」からスタートした
- リーダーの最初の仕事は「自分の応援団」を作ること
- 日本のワーキングマザーは私同様、「先駆け」の存在
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