話し出せば尽きないそばとそば屋の思い出
そばが大好きだ。せいろやざるに楚々と盛られたあのたたずまいからしていい。誰が何と言おうと「ジャパン!」って感じだ。新そばの出回る秋から冬は、そばの香りが一段と際立つ。
私のイメージは、一面に白い花が咲き乱れるそばの畑を吹き渡る夏の風の匂い、そしてその風には遠くで降った雨の甘い香りが混じっている。
そば打ちは、そば粉に水を回して香りを立たせ、それを再び封じ込める、何一つ欠けてもいけない、足してもいけない丹念な儀式のような作業だ。うまいそばは一口すすった瞬間、封じ込めた香りが鼻の奥のほうで弾ける。思わず笑みがこぼれてしまう。
本当においしいそばに初めて出合ったのは、東京は目白通りの南長崎にあった「翁」だった。
バイクで通りすがりに偶然入ったその店で、翡翠のように輝く美しいそばを見た。香りのよいそばというものがどういうものかが初めて分かった。つゆも抜群においしかった。そば湯で割って全部飲み干した。
「翁」のご主人は名人・高橋邦弘さん。そのときは知る由もなかったが、その後、縁あって山梨の長坂に「翁」が移ってから、二度、三度と取材をさせていただいた。いつお会いしてもそばに対する情熱は熱く変わらず、面倒な取材にも真摯に対応していただき、この人の打つそばだからこその思いを強くしたものだ。
もう一つ思い出すのは、室町砂場赤坂店と俳優・芸能研究者の故・小沢昭一さんだ。