運動して発散していたので反抗期もなかった
―― 両親が二人とも働いていて、寂しい思いはしなかった?
雅姫 家のすぐ隣が両親の仕事場でしたし、そこで誰かが遊んでくれたりもしました。姉もいましたし、寂しかったという記憶はあまりありません。近所の山から取ってきたり、おばあちゃんの家からもらってきたりした草花をスケッチをしたり。枝や実を拾ってきて食卓に飾ったり。そんな思い出でいっぱいです。
もちろん、友達の家に遊びに行くと、いつもお母さんが家にいて、ときには手作りのお菓子が出てくるのもちょっと羨ましかったですけどね。
そして、恐らく、この取材を姉にしたらまったく違う答えが返ってくると思います。両親が同じように育てているつもりでも、子どもによって受け止め方は違うから、どの子育てがいいなんてルールにはできないですよね。
―― なるほど、確かにそうですよね。小さいころは習い事などはしていたんですか?
雅姫 姉は剣道に習字、英語、編み物、エレクトーン、日本舞踊など習い事をたくさんしていました。一方、私は習字くらいで、あまり習い事には興味がなかったようです。
そのうちクラブ活動もするようになると、春は陸上、夏は水泳、冬はスキーという感じで運動をしていました。何か発散というか集中する場所があったからか、両親に何かしてほしいと強く求めることもなかった。ですから、特に反抗期もなかったんです。
でも、アルバムを見ると、両親はどんなに忙しくても毎年夏休みには家族旅行に連れていってくれました。こういうこと、私自身はなかなかできなかった。そして、そのときの写真をアルバムにまとめてくれました。もっとも、第一子である姉のほうがアルバムの数も多いですね。
アルバムには写真の横に、「泣かないでー」なんて母の手書きのメッセージが書いてあったりもします。絵心があるのは父なのですが、母はそれをマネして一生懸命描いてくれたんですね。あんまりうまくなくて(笑)、でも母なりに工夫をしてくれたのだな、と心が温かくなりますね。