その瞬間、同席していた女性編集者に「えっ」みたいな感じで緊張が走り、わたしは思わず、

 「出た出た、いつものこれ。あほらしい。そういうあなたはどうなんよ。男は何歳になっても自分のことは棚にあげて、女の美醜を外側からジャッジできると思ってるその無知っぷりが恥ずかしいとは思わんの。キツいってなに? あなた何様? 年が倍も違うふたりをみて、容姿しか目につかへんあなたの価値観こそいったいどうなん? 人の外見をあれこれ言うことが、なんで自分には許されると思ってんの? あなたはどの立場よ? 自分が他人を物扱いしてる自覚ある? あなたみたいな無自覚でマッチョな存在が、どんだけ鬱陶しくてあほらしくてとめどもなく恥ずかしいかわかってるの」

 ……と一気に詰めそうになった。しかし今日始まったわけでもなんでもない、あまりに多いこの手のやりとりにふだんからみなさまとおなじように辟易としているので、せせら笑いながらこの半分くらいの話で終わったのだけれど……。

 しかし、きっと件の男性編集者は、
 「へー、そんなに腹立つんだ。自分が老けたこと、相当気にしてるんだな……」

ぐらいにしか思ってないにちがいない。その場にいたほかの男性編集者も場をなごませようとしてか、「**さん、それは思っていても、言っちゃダメですよう」なんて、とんちんかんなこと言ってたしな。

せめてオフィシャルでは「人間」扱いしてほしく

 年を重ねれば老けるのは男性も女性も当然のことで、「女性をそういう<人間>として扱うべきでしょう、せめてオフィシャルの場では」という当然のことを指摘するだけで、しかし多くの男性の脳内ではだいたいが「嫉妬」ということに変換されてしまうのだ。

 もちろんこれは男性に限ったことではないけれど、ふだんからこういう感じの人は、自分の発言の、いったい何が問題だったのか。そのことについて考えることもないだろう。そして自分の美醜がおなじように誰かによってジャッジされるなんてことは想像もしない。もちろん、それが与える不快感や、やるせなさにも。つくづく、あほらしい。

 いやあ、言葉で人間や世界や社会を扱い、さまざまに繊細で注意深くなければならないはずの出版業界の人々でも、わりにこんな調子なのだ。