「格差婚」という言い方があるなら、夫婦が全く同等の収入と地位であることを「平等婚」というのか。そう言われたら、「ん?平等って、そういうことじゃないんですけど」って言いたくなるだろう。立場や収入が違っても、互いの存在をリスペクトしあう関係が「平等」なんじゃないの?って。

無自覚な「不平等婚」って結構あるんじゃないか?

 中には「金を稼ぐのがこちらの仕事、家事労働と育児はそちらの仕事」というのを「平等」だと考える人もいる。夫婦双方が納得してそのように分業している場合もあるだろうが(どっちかが遠洋漁業で海の上とか宇宙ステーション滞在中とか)、経済的に強い立場にある方がそうでない方に一方的に押し付けている「平等」は単なる暴力だ。

 どれだけ立場が違っても、私たちは同じ人間として互いの尊厳を最大限尊重し合うのです、という了解が成り立っている関係が「平等な夫婦」なのだとしたら、世の中には結構な数の「不平等婚」がある気がする。

 経済的、社会的な立場の違う夫婦、つまり「格差のある夫婦」は当たり前だ(むしろ夫婦間の格差が全くないことの方が珍しい)。どれほど両者の格差が大きくても、平等な夫婦であればいいと思う。逆に、たとえ全く同じ経済力と肩書きを手にしていても、不平等な夫婦は問題だ。

 「格差婚」を書き立てる記者たちは、もしかしてその「大きな収入格差にもかかわらず平等な夫婦」を祝福するふりをして、あとで「ほら、やっぱり男の方が稼いでないとうまくいかないよね」という反証を挙げたいだけなんじゃないかと勘ぐりたくなる。その前振りとして「格差婚」というネーミングが必要なんじゃないか? とすら思ってしまう。

 「稼ぐ女」はしかしそれほど嫌われ者なのか。