就職、転職、独立、そして、結婚、出産、育児……女性の人生はいくつものライフイベントによって彩られ、同時に多くの迷いも生まれるもの。社会へのメッセージャーとして活躍する女性から、人生の転機とその決断のポイント、充実したライフ&ワークのために大切にしている価値観を聞く連載企画。今回は、不登校や発達障がい、家庭環境の問題を抱える子どもたちのための学びの場を提供するNPO法人トイボックス代表理事の白井智子さんインタビュー後編です。「人生時計」をキーワードに、白井さんが自身の活動に込めている思いを日経DUAL編集長の羽生祥子がインタビューします。※前編『白井智子 子どもに向き合える働き方をしたかった』もお読みください。

本気でぶつかっていくと、彼らの目つきが変わる

羽生編集長(以下、羽生) フリースクールという言葉は、まだ一般的ではなかったですよね?

白井智子さん(以下、敬称略) やってみて気づいたのは「自由」というのは「はじめから与えられるもの」ではなく、「獲得していくもの」だということを、子どもたちに伝えていかないと、勘違いしてしまうということ。「フリースクール」という言葉を、自分では好んで使わないのは、そのためです。

羽生 なるほど。当初から不登校児を対象としていたんですか?

白井 決して限定していたわけではないのですが、結果として集まった子どもの多くがそうでした。当時はアクターズスクールをやっている校長がフリースクールをつくるというので話題になって全国から130人もの募集がありました。

羽生 つまり、ニーズがあったということですよね。そこから17年、問題を抱えている子どもたちは増えていると思いますか?

白井 正確な数の比較はできませんが、常に受け皿が足りずに求められていることに変わりはありませんね。ただ、変わったと感じるのは、うちに来る子どもたちの状態です。17年前は「発達障がい」に対する社会的認知もほとんどありませんでしたから、学校生活の中でまったく理解されずに、疲れきって、深く傷ついた子どもたちが多く来ていました。今は、ある程度はサポートする環境が整ってきていて、「口を聞いてくれるまで3年かかる」というような子どもはあまり見られなくなりましたね。わが子の行動の変化に気づいた早い段階から見学に来る親も増えています。

羽生 開校してからは順調に学校運営できたんですか?

白井 いえいえ、まずは開校するまでが大変で、「不良の子どもたちを集めるな!」と批判されたり、開校の是非を問う住民投票で否決されて土地を追われたりと風当たりは強かったです。やっとこさ開校式をやった日の夜、6歳から20歳までの130人の子どもたちを前に「さて、どうしよう」と焦りました。冷静に考えると、私は教師経験もないんです。当時は閉鎖的な学校運営が社会問題になっていましたから「オープンに一つずつやっていくしかない」と毎日ミーティングを開いて、子どもたち全員に自分の考えを話し、一人一人の声を聞こうと努めました。子どもたちと話し合いながら10カ条くらいのルールをつくることから始めましたね。「タバコを吸わない」とか当たり前のルールばかりでしたけれど。

羽生 お話を伺っていると、白井さんが真摯に子どもたちと向き合い続けられる理由は何なのだろう?と知りたくなります。

白井 最初の頃は不安でした。子どもたちとのコミュニケーションに関しては年齢が近かったということが救いになりました。親御さんたちに対しては「誰もが子育ての先輩。絶対に私が偉そうにしてはいけない」という姿勢で信頼関係をつくっていきました。子どものことを一番近くでみているのは親です。だから、子どもたちの教育方針について私が勝手に決めつけたりはしない。必ずお母さん・お父さんたちの意見を伺いながら方針を決めていきます。その心がけは今でも持ち続けています。

羽生 親が一番であると。

白井 はい、親の考え方に寄り添わないと、前に進みませんから。始めた当初は子育て経験もありませんでしたから、親御さんに聞くしかありませんでした。子どもたちからもたくさん教えてもらいましたね。はじめは「東大出の姉ちゃんに気持ちわかられてたまるか」くらいの挑戦的な態度で来るんですけど、こちらが本気でぶつかっていくと、どんどん彼らの目つきが変わっていくんです。その変化はすごいんです。なぜなら、それまで学校や社会で認められた経験がとても少ない子たちだから。「ここでは認めてもらえる」と気づくと、ものすごいスピードで変わっていきます。コロッと。悲しいくらいに変わるんです。