就職、転職、独立、そして、結婚、出産、育児……女性の人生はいくつものライフイベントによって彩られ、同時に多くの迷いも生まれるもの。社会へのメッセージャーとして活躍する女性から、人生の転機とその決断のポイント、充実したライフ&ワークのために大切にしている価値観を聞く連載企画。今回は、不登校や発達障がい、家庭環境の問題を抱える子どもたちのための学びの場を提供するNPO法人トイボックス代表理事の白井智子さん。「人生時計」をキーワードに、白井さんが自身の活動に込めている思いを日経DUAL編集長の羽生祥子がインタビューします。

日本の小学校は「勉強ができない」だけで否定されてしまう

羽生編集長(以下、羽生) 白井さんは一貫して「教育」の分野に力を注がれています。不登校や発達障がい、家庭環境が理由で“フツウ”の学校システムになじめない子どもたちの存在に早くから着目し、受け皿となる環境づくりに取り組まれてきました。はじめの一歩としては26歳(人生時計で午前9時頃)が転機だったとか。

白井智子さん(以下、敬称略) はい、26歳で沖縄のフリースクールの校長になりました。

羽生 もともと教育を目指されていたわけではなかったのですか?

白井 子どもの頃の夢ではなかったですね。どちらかというとジャーナリストになりたかったんです。実は大学卒業後の就職先としては集英社が決まりかけていたんですが、この道で本当にいいのかと悩んで悩んで。入館証を作っていただく直前で人事部長に「すみません、やっぱり辞退します」と頭を下げて、松下政経塾に入ったんです。その決断がなければ、ファッション誌のエディターとしてキャリアをスタートさせていたと思います。

羽生 政治の分野にご関心が強かったんですか。

白井 というより、4歳から8歳までオーストラリアのシドニーで教育を受けて、帰国後に日本で感じた“疑問”の原体験に立ち返ったという感じです。生まれ故郷の千葉県船橋市の公立小学校に編入したのですが、「なんで?」という疑問だらけで壁にぶつかりました。日本の学校では、どんなに性格がよくても、絵が上手でも、スポーツができても、「勉強ができない」という一点だけで否定されてしまう。オーストラリアではひとり一人の長所を見つけて伸ばして、そのまま職業につなげていく教育が重視されていました。「いい所を認め合うのが当たり前」というオーストラリアの環境と比較すると、当時の日本の学校は「悪い所の見つけ合い」のように感じました。