まったく情けないのはわたしであって、このあいだまで英語のことなんて何にもひとっつも考えていなかったくせに、この体たらくなんである。

 「もしかして始めるの、お、遅かったですかね」みたいな感じで聞いてみると、その先生はちょっとだけ言いにくそうに、「そうですね……日本語と英語の区別がつくまえだと、よりスムーズだったですけれどね」と微笑んだ。

 外国語教育には、さまざまな考えかたがある。大きく分けると、母語がきちんと入ってからのほうがよいというのと、乳幼児、シナプスの形成期から始めるのがよいというもの。しかし、これは「どの程度、英語を話せるようにしたいか」、「その人生において英語をどれくらい重要視するのか」によって大きく変わってくるし、もちろん個人差もある。十代の後半から留学してもきちんと習得できる人もいるし、まったくダメな人もいる。ふたつの言語が中途半端になってしまうという話(漢字にストレスを覚えるようになるとか)もよく聞くものね。

 だから、何をもって遅いとか早いとかを決めるのかは、その人のビジョンによって違うとしかいいようがないんだけれど、ともあれ、数年後にやってくる夏休みを親子ともども円満に過ごすために、いま英語教室に通っている、というそういうわけなのだった(先生とも相談して、火曜日の午前中も追加しました)。

生きれば生きるだけ重い何かがくっついて

 思えば生まれて間もないころから、「幼稚園はやっぱ私立なの?」とか「受験とかすぐだよ、考えてる?」とかけっこう聞かれて、そのたびに、「わたしはいったい何を生んだんだろう……」と微妙な気持ちになったりしたんだけど、そして今もその気持ちはあるんだけれど、でも気がつけば、結果的に似たような流れに乗ってるよなあ、はたからみれば、そういう感じだよなあ……と、なんだか複雑な気持ちにもなるのだった。

 子どもは親にとって、ただしあわせに笑っていてくれさえすればそれだけでいい存在なのに、まるで磁石がいろいろなものを引き寄せるみたいにして、生きれば生きるだけ、何かをくっつけながらだんだん重くなってゆくのである。社会的な存在になってゆくのである。

 体も精神も激烈に過酷だったけれど、明るい朝に、薄暗い夜の寝室に、腕のなかにすっぽりとおさまる、ただ生きようとしているだけの小さな体を抱いて授乳していた時期のことを思うと、なんだかたまらなく懐かしいような、胸がきゅっと鳴るような、ほんとにかけがえのない時期だったんだなあって、そんな気持ちにもなるのだった……や、もう一回やれって言われたら、それはそれで無理なんだけど。フレシネをまたまたグラスに注ぎつつ、そんなことを考えた。

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