母からの質問「働く母、家にいる母、どっちがいい?」

 このエピソードは『思春期』という本にも書いたのですが、ある日、母が神妙な顔つきで「ちょっと話がある」と私を呼ぶのです。ダイニングテーブルに着くと、母は私にこんな質問を投げかけました。

 「働いているお母さんと、いつも家にいるお母さん、どっちが好き?」

 いきなりの問いかけに戸惑いました。私が知っているお母さんはずっと「働いているお母さん」で、そんなお母さんが好きでした。でも、「お母さんがうちにずっといると楽しいのかな。ケーキを焼いてくれたりするのかな?」という気持ちもありました。色々な感情をうまく表現できないまま、私の口から出たのはなぜか「家にいるお母さんがいい」という答えでした。

 「そうなのね、やっぱり」と返した母の顔はどこかホッとしているように見えました。数カ月後、母は本当に会社を辞めて専業主婦になってしまったんです。

 子どもにこんな大事な選択を委ねるなんて酷ですよね(笑)。でも、大人になって当時の母の状況を推測すると、きっと母はつらかったんだと思います。電話の交換手としてキャリアを積んでいましたが、女性だからという理由で昇進も異動もない時代です。毎日同じハードな仕事に明け暮れ、夜勤もこなす。戦争の影響で高校に進めずに中卒だったので、戦後に高校・大学を卒業した年下の後輩からどんどん先を越されていくことに焦燥や虚しさを感じていたのだと思います。

 そして、口にはハッキリと出しませんでしたが、「働く母」ならではの葛藤もあったのかもしれません。6歳下の弟が保育園に通い始めたとき、お迎えに行くのは私の役目でした。当時は保育園に預けているお母さん達の勤務もそれほど長時間ではなかったのか、小学校の授業が終わって隣接する保育園に行くと、弟が最後の居残り組だったことも多かったですね。姉の姿を早く見つけたくて、ジャングルジムの一番上に登って待っている姿を覚えています。

 私は私で弟をとてもかわいがっていて一緒に家の鍵を開けておやつを食べる生活が苦ではなかったのですが、母としては「もっと子どもの面倒を見てあげたい」という思いが募っていたのかもしれません。特に弟に関しては、男の子ということでいろいろと心配をしていたようです。母が私に「働く母か、家にいる母か?」という質問を投げかけてきたのは、弟が小学校に入る前後くらいのタイミングでした。今でも「小1の壁」なんて呼ばれているんですか? 昔とあまり変わっていないですね。

―― お母様が仕事を辞めてからの変化はいかがでしたか?

 私の母の場合ですが、仕事を辞めるとみるみるくすんでいってしまいました。新しいことは色々と始めていましたよ。編み物をしたり、パンを焼いたり、手作りのアイスクリームを作ったり。ずっとやりたかった趣味のようなものを手当たり次第に。でも、どれも長続きせず、そのうち愚痴が多くなってきました。娘の私から見て、仕事を辞めてからの母はちっとも幸せそうに見えなかった。必死に自分の空虚な気持ちを埋めているように見えました。

 私は私で「私があんなことを言ってしまったから、お母さんは仕事を辞めてしまった」としばらく後悔と罪悪感に悩みましたが、母自身が自分の決断を下すために娘に背中を押してもらいたかったのだと考えれば、それほど私が罪の意識を感じなくてもよかったのかもしれませんね。

 そのうち私自身も自分の青春を謳歌するのに忙しくなって、母のことがそれほど気にならなくなりました。その後、母はいろいろやる中で民謡と三味線に第二のキャリアを見出し、教室を開くまでになりました。そのころには息を吹き返したようになりましたので、長い目で見ると母は会社を辞めてよかったのかもしれません。