社会に必要とされているクリィミーマミに憧れた

七五三のお祝いでお母さんと
七五三のお祝いでお母さんと

―― 「ごはんはお父さんとお母さんと一緒に食べたい」という思いも強かったんですね?

 いいえ、それはありませんね。単に祖父母の家で食べたくないから自分の家で、という消去法です(笑)。

 父や母がそばにいることで安心感を覚えたことって、今思えばそんなになかったです。迎えに来てもらって帰れるのはうれしかったですけど、「やっとお母さんに会える!」って甘えたりはしなかったですね。

 祖父母の家にいとこが数人いたんですけど、私は一人っ子なので、自分と同じような年の子どもがいるのが落ち着かなかった。大人達は「一緒に遊べて楽しかったでしょ?」などと言いますが、全くそういう感じでもなくて。子ども同士って情報が足りないから、話が盛り上がらないし、自分が足りない部分を嫌でも認識させられる。その点、大人は子どもが足りないことに気づかないように接してくれるから、「やっぱり、大人と話しているほうが楽だな」って子ども心に思っていました。

―― 保育園に入るころから、お母さんのほうのおばあさんと一緒に暮らすようになったそうですね。

 もう他の家に行かなくてもいいんだ、ってホッとしましたね。祖母は口数が多いほうではなかったので、一緒にテレビを見て、ちょっと宿題を見てもらって、ノロノロと日々が過ぎました。自分の家なので気を使わずに済んだのがうれしかったです。

―― お母さんにも家にいてほしいなと思ったことは?

 全くなかったです。だって、親が両方働いているなんて、かっこよくないですか? 当時、私は仕事に対して「かっこいい」というイメージしかありませんでした。『魔法の天使クリィミーマミ』というアニメがはやっていて、小学生のクリィミーマミは変身するとアイドルになれる。「歌って踊れてかわいい」という点よりも、芸能事務所を引っ張っている姿、 10歳なのに社会の一員としてものすごく必要とされている姿に、憧れましたね。クリィミーマミは架空の人物だけど、当時は子役が少しブームな時代でもあったせいか、子どもが働くということをいつも意識していました。

 そしてそんな私の心を知っていたのか、母は帰宅をして寝るまでの1~2時間、「あなたに仕事を与えます」って言ってくれたんです。デニム地の布きれに熊を描いて、ビーズと針と糸を用意してくれた。それで「この熊の白い輪郭をビーズで縫いながら、全部留めていってください。これが仕事です」って言われて、それを必死にこなしました。