「子は親の鏡」が無作為の、「カエルの子はカエル」は作為の結果

 わたしの考える「子は親の鏡」という言葉は、子どもの何気ない言葉や所作の中に親の姿が透けて見える……的な意味を持つもので、ウルトラマン好き、阪神好き、クルマ好きの虎は「わたしの鏡」というよりは「カエルの子はカエル」なのである。「子は親の鏡」が無作為の、「カエルの子はカエル」は作為の結果っていうか。あくまで個人的な受け取り方の問題なんですけどね。

 で、何が言いたいかというと──。

 ある晩、わたしが阪神の不甲斐ない戦いぶりにちょっとばかり多めのアルコールを摂取し、虎と一緒にベッドに入った時のことである。

 「パパ、鼻が出た~」

 「ん~、ティッシュは? ベッドの横にない?」

 「……ない」

 わたしは酔っぱらっていた。眠りの海に飛び込む寸前だった。ティッシュを取りにいくためにベッドから出るのは嫌だった。なので言った。

 「じゃ、ママの枕で拭いちゃえ」

 「え~、でも、そうしたらママが寝られなくなっちゃうよ」

 シャキーン! 一気に目が覚めた。誰だ、お前は? なんでそんなに思いやり深いヤツになってるんだ? 父はそんなことを教えた覚えはないぞ! 

 いやーびっくりした。あんまりびっくりしたので、ベッドを抜け出してティッシュを取りにいき、結果としてすぐそこまで降りて来ていた“熟睡の神様”を取り逃すことになった。

 まだある。