もしもアメリカを世界の中心だと思っていれば「そうか、私は田舎者か」と引け目を感じたのかもしれないが、私はそうではない上に東京という過密都市で育ったので、パースののびのびとした環境が気に入っている。

 ではなぜそんな話をしたのかというと、都会育ちは世間知らず、という話をしたかったのだ。DUALのトークショーでは時間切れでそこまで辿りつけなかったのだが。

ワルシャワっ子の発言にびっくり! そして悟った

 パースにはいろんな街から引っ越してきた人が暮らしているが、ポーランドのワルシャワから引っ越してきた人と話していてとても興味深いことを発見した。

 結論から先に言うと「都会人は自分が住み慣れた場所を一番都会だと思い込んでいる」ということだ。「都会人は住んだことのない場所は全部田舎だと思っている」とも言える。

 私は、行ったことのないワルシャワよりも東京の方が断然都会だと思っている。彼女は、ヨーロッパは世界の最先端で、ワルシャワは東京よりも洗練されていると考えている。そして私と彼女は、「パースは地の果てだ」と思って引っ越してきたのだ!

 「最初ここに来たときはネットも遅いし、とんでもない僻地に来ちゃったと思ったの。でもいまはとても快適。ワルシャワはみんな機嫌が悪いし挨拶もしないしカリカリしているから、気が安まらなかった。先進的な都市ってきっとどこもそうだろうけど。東京はアジアではすごく進んでるから同じ感じでしょ?」と生真面目に話す彼女を見ながら、私は内心(え、ワルシャワって寒い小都市かと思っていたけどそんな大都会でネットも速いんだ! 東京も、って言うけど、あなたが知っているワルシャワの雑踏とは比べ物にならないくらい人が多くて殺気立ってるはず!)などと細かく驚いていた。で、気がついたのだ。私たち二人とも、すんごい世間知らずだって。

 当たり前だが、今は世界のいろんな場所で同じものが手に入る一方で、ネットはつながるけど水道がない場所もある。何をもって進歩的とし、何をもって豊かとするかは一つの基準では測れないのは当たり前のことなのに、なぜ彼女も私も「ワルシャワ(東京)は便利だけど、パースは不便に違いない」と思い込んでいたのか。

 単に距離が遠いとか、住んだことがないというだけで、うんと「遅れた」場所だと決めつけていたのだ。同様に、彼女は東京を、私はワルシャワを「自分の住んでいる町よりは田舎だ」と思い込んでいる。東京と地方だって、同じことだ。つくづく都会人て傲慢だなあ、と反省した。