アジアを旅すると、思うことがあります。アジアの大都市、クアラルンプールやバンコクで子どもがうるさいと感じたことはない。なぜなら、ものすごく子どもが多くて、超うるさいから。日本だと電車で奇声を上げる子がいると、すぐにどの子が騒いでいるかわかるけど、アジアは電車の中は子どもだらけで、奇声が上がってもどこであがっているか特定できない。つまり、既に東京の電車の中では子どもは珍しい存在でイレギュラーだからこそ、静かな高齢者ルールに従わなければならないという、同調圧力がかかるのです。

「子育て」が普通でなくなった日本

 ハワイにしょっちゅう行っている友達はよく「子どもに優しいから旅がしやすい」と感心している。日本は、子どもがいることが既にイレギュラーなので、大人の空間、公共の場という言葉に縛られて、うるさい子どもは排除する暗黙の了解のもとにある。

 だから、ますます子育てがしにくくなっていると感じるのです。「もう一人欲しい」と思えなくなる。子育てが普通でなくなると、子育てのしづらさに加速度がつく。

 一つの解決策は、やはり説明すること。そして、子どもと地域にもっと子育ての当事者になってもらうことも重要だと思います。保育園のイベントに近くのお年寄りを招待するとか、防災のイベントに一緒に参加するとか。日常的に、顔を見せることも重要なのかなと思います。

「子育て」への敬意が欠如している

 また同時に、大きな危機感を持って言えるのは、「子育て」というものへの敬意の欠如です。

 誰もが、誰かが産んで育てた人のおかげで生きている。私はたった一人しか産まず、たった一人しか育てていない。完全に貢献度はマイナスなので、だからこそ、たくさん育てている人には心から敬意を持ちます。

 産んで育てる。

 見も知らぬ人がやった作業のおかげで、バスを運転する人がいて、おいしいお米を作る人がいて、便利なアプリを作る人がいて。どの人間も、誰かの出産と子育てという作業のおかげで存在して、そのおかげで私達は生きていられる。

 そういう、出産や子育てへの敬意が、本当に正直あまりに見下されている、ような気がするのです。