しかしなぜに一部の日本人が、英語圏の差別主義者のような物言いでオーストラリアを語るのかが私には理解できない。なぜそれが常識とばかりに、揶揄するような言い方をするのだろう。それとも、単なる常套句で大した意味なんてないとでも?だとしたら、その感覚を恥じた方がいい。「日本に引っ越すの?ああ、変な言葉をしゃべる国でしょ?」という人をあなたはどう思うのか、と尋ねたい。

養老孟司先生の知性と温かさを感じる言葉

 ここ1年半の間に数え切れないほど交わした「引っ越したんです」「えー、オーストラリアって…」の会話の中で、私はさまざまな人の本音を垣間見た気がする。その中で最も印象に残ったのは、解剖学者の養老孟司さんの言葉だ。

 「ああ、いいね。国際的な学会なんかの会場で、一人でいても機嫌良さそうにしているのは、たいていオーストラリア人だ」「あそこは人口が少ないから、人の命の重みが違う。内陸で車が故障して立ち往生していたりすると、必ず通りかがった人が助けてくれる」「草木の種類が限られているから、緑がしつこくなくていい」

 養老先生がメルボルン大学に留学したのは1971年から私がパースで生まれた1972年にかけてのことのようだけど、この3つは今私がパースで暮らしていてもよく感じることだ。機嫌のいい人が多い、親切な人が多い、緑がさらっとしていて明るい。

 何かについて語る時、その人がどのような事象をどのような言い方で表すかは、その人の知性の有りようを示していると思う。それで私は、養老先生のこともオーストラリアのことも、やっぱり大好きだと思ったのであった。