実際のところ、日本なまりの間違いだらけの英語を喋る私には、英語のなまりの聞き分けなんてできない。子どもがなまったら困るとも思わない。
グローバルイングリッシュは「お国なまりの英語」とも言われるように、多文化社会でそれを気にしても仕方がない。それに、どんな言語であれ、たとえ正統的な言葉を喋る立場の人間であったとしても、なまりをバカにすること自体、全くもって知的でない。
想像してみればわかるだろう。東京山手で生まれ育ったからといって「おや、あの方はお国言葉なのですね」とか眉をひそめるような御仁は、お世辞にも上品とは言えない。
知ったかぶりで上から目線は、屈折の表れ?
80年代にヒットした「クロコダイル・ダンディ」という映画でオーストラリアの英語がギャグにされていたのを受け売りしたのが始まりなのか、なぜこうも「オーストラリアってなまってるんでしょ」がオーストラリア通、英語通めいた物言いだという思い込みが広まっているのか、とても興味深く思う。根底には、英語コンプレックスというか、英語圏、ひいては白人コンプレックスがあるように思う。
イギリスやアメリカには引け目を感じるけど、オーストラリアは歴史も浅いし大国でもないから、日本の方が上だよね・・・という気持ちが「訛ってるんでしょ?」発言になるのではないかと思うのだ。
「ああ、もともとイギリスの流刑地だから、下品な英語を喋るんだよね」と言った人もいる。出自で人を差別するという野蛮極まりない発言をしていることに、気がつかないのだろうか。
まだ百歩譲って「えー、オーストラリアってカンガルーが信号待ちしてるんでしょ」とか「コアラを食べるんだよね」とかなら、未知の大陸に対する無知に基づく偏見だとわかる。