休職してまで、青年海外協力隊として単身ケニアへ渡った理由
阪部 尾崎さんは大学卒業後、建設会社に在籍中、単身ケニアに赴任するというユニークな経歴をお持ちです。また5児のパパとしての素顔にも大変興味があるところです。まずはケニアへ行こうと思われた動機からお尋ねしたいのですが。
尾崎さん(以下、敬称略) 23歳のとき、10年後、つまり“33歳の自分の姿”を想像したことがきっかけでした。サラリーマン建築士としてキャリアを積み上げている将来の自分の姿に違和感を覚えた。「こういう33歳は嫌だな」と感じたのです。
その背景には「自分の価値や評価がすべて会社の物差しで測られる人生は面白くない」という漠然とした思いがありました。要は、売り上げや生産性だけですべてが判断される世の中の価値観に若造なりに反発を感じていたわけです。そんな思いを抱えていたある日、「青年海外協力隊員募集」という中づり広告を目にして説明会に行ったのです。
そこで聞かされた「求められることは技術を提供することで途上国の発展を手伝うことだけ。あなたを評価する人は誰もいません」という言葉。これが私の琴線に触れました。「あっ、これは面白い!」と心の針が大きく揺れ動いたんです。
阪部 なるほど。それにしてもなぜケニアだったのでしょうか。また、赴任される際は、休職されましたよね。会社は許してくれたのでしょうか?
尾崎 発展途上国の中でケニアを選んだのは、アフリカ大陸であること。建築士として求められる能力の水準が自分に合っていたこと。そして、英語圏だったことです。試験に合格した当初は、会社を辞めて行こうと考えていました。会社に告げると「会社代表として行ってくればいい」と快く送り出してくれました。あのころの日本はバブル期で好景気だったことが大きかったのでしょう。
阪部 ケニアで技術者として新しく学んだことはどんなことでしたか? また、尾崎さんの中でどんな価値観の変化があったか詳しく教えてください。
尾崎 技術者として新たに先端技術を習得するということはありませんでした。ただし、価値観は一変しましたね。自分の中の「物差し」がことごとく役に立たないことを思い知らされる経験の連続でした。