自分の物差しが全く役に立たない。180度価値観が変わるという体験

KANAEアソシエイツ代表・阪部哲也さん
KANAEアソシエイツ代表・阪部哲也さん

阪部 具体的にどんなことが?

尾崎 前任者はあまり仕事をしない人だったようです。それなのに現地での評価は「とてもいい人」。日本にいると、仕事ができるかできないかということはその人を評価する際、大きな判断基準になります。けれどケニアではそうじゃない

阪部 「彼は仕事をしないけれど、器量のある人だからいい人だ」と受け取られるのですか?

尾崎 ちょっと違います。「仕事の能力」という物差しと「友達」という物差しが並列というのでしょうか。「仕事をしない=駄目な人」という、トータル評価にならないんです。

 こちらとしては「技術を習得して生産性を高めて働くことで、国が発展する。もっと豊かになる」という思いで彼らにアプローチしていくわけですが、逆に「豊かさって何だ? 具体的にどんないいことが待っているのか?」と質問が返ってくる。そこで「あくせく働かなくても寝て暮らせるようになりますよ」と答えると、「俺達は今も寝て暮らしている。心配ご無用。大丈夫!」と返ってくる。「『この国を豊かにするためのお手伝いに来た』なんて、一方的にイキがっているよ」と。ことごとくズッコケる(笑)。

阪部 そもそも寝て暮らしているのだから、発展しなくてもいい、と!(笑) それは彼らが物質的な豊かさを求めていないことを意味するのでしょうか? 一方で、治安が悪くて窃盗や殺人の匂いがするスラム街などは皆無なのですか?

尾崎 確かにそういう地域もあります。また、豊かになることを求める気持ちがないわけでありません。あると言って間違いないでしょう。そうでありながら「こんなに貧しい生活をしているのに、どうしてこんなにハッピーでいられるんだろう?」と考えさせられる場面に遭遇することが多かったんです。

 今ようやく日本でも物質的な富だけでは測ることのできない「本当の豊かさって何だろう?」という本質に立ち戻っている感がありますよね。彼らの場合、達観とも違うのですが、貧しさに対してどこか突き抜けています。基本、ハッピーだし、楽しそうなんです。

阪部 物質的には満たされていても、満員電車で疲弊している日本人とは根本的に違う?

尾崎 違うんですよ。ケニアの鉄道博物館に行きますと、既に100年以上前に英国の最先端の技術が導入されていることが分かります。でも、その技術を国の発展に役立てるような活動は起きていない。かつて日本は開国後、海外から入ってきた知識や技術を吸い上げて猛烈に発展してきました。同じように異国から新しい技術が入ってきても彼らは変わらなかった。というより、「やみくもに発展すること」を実は求めていないのかもしれない。

 『アサンテ サーナ/わが愛しのタンザニア』という日本映画をご存じでしょうか。日本の青年海外協力隊の現地での活動を描いた作品なのですが、タンザニア政府からタイトルにクレームがついたんです。「アサンテ サーナ」とはスワヒリ語で「とってもありがとう」という意味なのですが、タンザニア政府の言い分はこうです。「豊かな国が貧しい国を助けるのは当たり前だろう。どうして『ありがとう』なのか」と。