一日に500台の車が盗難に遭い、一日2件の頻度で銀行強盗があった

阪部 多額の借金を抱えた日本も近い将来、インフレが起きるのではないかと噂されています。当時、ブラジルではどのようなことが起きていたのですか?

久野 経済が混沌として、貧富の差が激しくなりました。治安も悪く、一日に500台の車が盗難に遭い、一日2件の頻度で銀行強盗があるような状況でした。そんな犯罪は日常茶飯事で新聞にも載らないほどだったんです(笑)。

 また、ハイパーインフレは簡単に言うと、今日のお金が明日には紙くずになってしまう状態。一週間に3回くらい商札の値が変わり、もともと100円だった物が一年間で3000円になってしまったりする。すべてが複雑になる中で、経理部門のトップとしてインフレ予測をしなければなりませんでした。大企業に在籍しながら、中小企業のオーナーが毎月の資金繰りに頭を悩ませるような経験を味わいつつ、毎日深夜12時まで働いていました。

 一方、家計を管理する苦労もありました。放っておけば一日で3%くらいずつ財産が目減りしてしまうので庶民であっても運用をしなければなりません。お財布のひもは一家の主が握っているケースがほとんどでした。

阪部 とんでもなく大変な環境ですね。サンパウロに行かれたときは単身だったのですか?

久野 既に結婚していましたから妻と一緒です。現地入りした年に長男が誕生しました。

阪部 ご家族含め、途中で逃げ出したいとか、久野さんご自身「転職したい」と思ったことはなかったのでしょうか?

久野 すぐ日本に帰る人はたくさんいました。ただ、私の妻は小さいころ6年間マニラのアメリカンスクールに通っていた経験があったんです。貧民窟があるなど貧富の激しさという点では、当時のフィリピンとブラジルの状況が似ていたこともあり、妻は適応してくれました。

 確かにあのころは、キャリアの面でもプライベートの面でも私にとっては修羅場でした。でも、あのときの経験が大きな成長の機会となったことは間違いありません。