保育園大激戦区で“待機ママ”を経験

育休中の槙田さんとお子さん(1歳くらいのころ)。羽田空港にて
育休中の槙田さんとお子さん(1歳くらいのころ)。羽田空港にて

―― お子さんを保育園にすぐに入れることができましたか?

槙田  最初の保活時代、約10年前に住んでいた地域は当時は保育園入園の大激戦区でした。現在は改善されたようですが、市役所で待機児童数を確認すればするほど、保育園に入園できる気がしなくて……。今思えば選択肢を広げる方法を考えたり、さらに情報収集したりする必要があったかもしれません。結局、保育園は認可にも無認可にも入れることができず、1年間の“待機ママ”を経験しました。

 役所に提出する保育園の申請書は「月20日以上かつ週40時間以上」といった規則的な就業に合わせた書き方が基本です。でも、弊社では短時間勤務のほか、年間の働く日数を減らす短日数制度、月間3日間の育児日などの制度があり、一般の日勤基準はフィットしません。他の業種を見ても、運輸・鉄道・医療などの不規則勤務の業種は「月~金」だけの勤務ではありませんから、復職にあたって保育園選びや書類の記入などでは、同じ悩みを持っているのではないでしょうか。

 保育園に入らなければ仕事は続けられないのに、保育園に入るためのポイントは取りにくい。祈るような思いで結果を待っていましたが、待機ママが確定したときはさすがにショックでした。

―― 待機ママだった1年間をどう切り抜けたのでしょうか?

槙田 職業上、私が不在のときはどうしても夫の負担が大きくなってしまいます。夫婦だけで仕事も育児も家事もすべてカバーしていては共倒れになってしまう……。子どもが病気になった際はどうするのかなど、夫とは復職前に随分話し合いました。

 お互い両親が遠方にいたため、主に在宅保育サービスを利用していました。在宅保育サービスは、職場の先輩から紹介されたお泊まり付きの家庭保育です。両親の手を借りずに子育てしているCAは割と多く、こういった口コミ情報は自然と耳に入ってきます。在宅保育サービスは、子どもにとって「安全で愛情ある環境」だったと感じています。

 その他、同じ時期に出産したママ友に保育士さんがいらしたので、謝礼を支払って子どものお世話をお願いしていた時期もありました。

―― 保育士のママ友とは心強いですね。他に預かってくれる人はいましたか?

槙田 大阪の実家や、実家の近くに住む妹も協力してくれました。基本的に毎日の家事や育児は夫と協力して行っていましたが、夫婦ともに帰宅時間が遅くなることもあり、必要に迫られて色々な人の手を借りてなんとか乗り切ったという感覚が強いですね。

 子どもも成長するにつれて自分でできることも増えて手がかからなくなりますが、赤ちゃんの時期はやっぱり大変。あの経験が「同じように頑張って子育てしながら働いている後輩をサポートしたい」という気持ちに繋がっています。

―― そのころ、ファミリーサポート(以下、ファミサポ)にはまだ登録はしていなかったのですか?

槙田 育児休職中に登録だけはしていました。仕事が不規則だったので、どこまで融通が利くか分からなかったこともあり、3歳までは在宅保育サービスを利用していました。

 子どもが2歳半になってやっと認定保育室に入園させることができましたが、ファミサポはちょうどそのころ、子育て経験の豊富な方から地域に根ざしたサポートをしていただけると耳にし、リスクヘッジの一つとして登録しました。その後、3歳で認可保育園に転園したのをきっかけに本格的にファミサポの利用を始めました。