研修生時代は家でも気が抜けず
日経DUAL編集部 大学院時代のパリ留学から戻った後、照明デザイナーになるとお母さんに報告し、お母さんの事務所に入ったのですよね?
石井リーサ明理さん(以下、敬称略) そうです。まずニューヨークの照明デザイン事務所でインターンをしました。戻ってから、まずは日本での仕事の仕方をちゃんと覚えることが大事だということで、母は自分のところでみっちり教えようと思ってくれたようです。最初から海外に行ってしまうと、日本で仕事ができなくなるからです。そこで母の事務所の入社試験を受け、「研修生」としてスタートしました。
朝早くに出社して、門掃きから始まって、夕方になるとみんなの分の夜食を買いに行って……と研修生の仕事をこなしつつ、3年間勉強しました。そのときは実家に母と一緒に住んでいましたから、朝起きた瞬間から緊張していました。支度が5分遅くても「たるんでる」と言われるので。厳しかったですね。母は「生活態度が仕事の成果に反映する」という考えの持ち主ですから、家でも気が抜けない。初めのころは慣れない仕事を終えた後は家で少しくつろぎたくてもできない……。必死でした。
―― お母さんご自身は、夜に帰宅後はジャージ姿でリラックス、なんてことはしないんですか?
石井 しないですねー。ジャージ、持っていないと思います(笑)。私も、ジャージはもっぱらスポーツクラブで使うだけです。母がくつろぐときは、寝室で本を読んでいたりします。
3年経って「そろそろ武者修行に」
―― そんな厳しい職場で、お母さんと同じ仕事を選ばなければよかったと後悔したことは?
石井 なるべく短い時間に、なるべく多くのことを吸収したいと思っていましたので、後悔などしている暇はありませんでした。周囲には色々なことをおっしゃる方がいました。「お母さんみたいにはなれないぞ」とか「大変だぞ」とか。でも自分で決めたことなので頑張るしかないと思っていました。ゆくゆくはフランスで照明デザインの技法をもっと学びたいと思っていたので、とにかく日本で早く色々吸収して外に出られるようになろうという一心でした。
3年経って、「そろそろ武者修行に行ってまいります」と言って、フランスの照明デザイン事務所で職を見つけました。フランスは失業率がすごく高く、就労ビザを取るのも非常に大変でした。それでも私を雇いたいと言ってくださるところがあり、フランスに行けることになったのです。