2週間の海外滞在でまとめてしつけ

―― お母さんに対して反発を覚えたことは?

石井 それはですね、家にずっといる母ではなかったので反抗のしようもなく、反抗期がなかった。勉強しろとも言われませんでしたし。言われなければ反発のしようもない。

―― 勉強しろとは言われなかったのは、信頼されていたんでしょうねえ。

石井 どうなんでしょうか。父には、勉強のことよりも部活は体育会系の運動部に入るよう言われました。私は中学と高校は柔道をやっていて、黒帯も持っていて、東京都3位だったりしました。色々やりましたけれど、柔道が一番楽しくて。学校が終わってから道場へ行って、帰ってきてから宿題をして寝る私の生活も忙しく、反抗したりする暇はなかったですね。一人っ子ですから自分一人の世界で遊ぶのも苦にならず、絵を描くことも好きでしたし。

 ただ、長い休みのときは、当時母の事務所がロサンゼルスにもあったので、一緒についてアメリカに行き、その機会にまとめて母に「しつけ」をしてもらいました。

 子どもには、「あのときこうやったのはダメだった」と後からいくら言ってもピンとこないから、そのときにピシャッと叱らないといけない、と母は言うのです。だから、ずっと一緒にいる2週間とか3週間に、母にまとめて仕込まれました。ナイフとフォークの使い方、立ち居振る舞いなど、ごく基本的なことです。外国ではパーティーのときに壁に寄りかかってはいけない、とか、挨拶をするときには笑顔でとか、必ず「Thank you」と言う、とか。すごく簡単なことだけれど、こちらも海外にいて不安ですから、「なるほど」と素直に聞けました。

―― 海外で仕事をするお母さんを見て、ますます尊敬しました?

石井 そうですね。「ママすごい、英語ができるんだ!」というのはありましたね。今でも、ドイツに行くと急にドイツ語を話し出すので、「すごい、まだしゃべれるんだ」と驚きます。「忘れないものなのよ」と母は言いますが。

――後編では、尊敬するお母さんが、尊敬する上司になってから、コラボレーションをする相手となるまでを中心に伺います。

石井リーサ明理 (いしい リーサあかり)
照明デザイナー
東京生まれ。東京藝術大学美術学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。ロサンゼルス、パリにてデザインを学ぶ。ハワード=プランストン&パートナーズ社 (ニューヨーク)、 石井幹子デザイン事務所を経て、1999年、パリのライト・シーブル社に勤務 。チーフデザイナーを務めた後、 2004年株式会社I.C.O.N.設立。現在パリと東京を拠点に、世界各地で都市、建築、インテリア、イベント、展覧会、舞台照明のデザインを手掛けると同時に、写真・絵画製作、映像・音楽プロデュース、講演、執筆活動も行う。主な作品は、ポンピドー・センター・メッツ、バルセロナ見本市会場、トゥール大聖堂付属修道院、パリ・イルミヌ・パリ、リヨン光の祭、歌舞伎座等。フランス照明デザイナー協会正会員。
国際照明デザイナー協会会員。トロフィー・ルミヴィル、北米照明学会デザイン賞受賞など受賞。著書に『都市と光 ― 照らされたパリ』(水曜社)他。

石井幹子 (いしい もとこ)
照明デザイナー
都市照明からライトオブジェや光のパフォーマンスまでと幅広い光の領域を開拓する照明デザイナー。日本のみならずアメリカ、ヨーロッパ、中近東、東南アジアの各地で活躍。近年はオペラや野外能の照明にも取り組む。
東京藝術大学美術学部卒業。フィンランド、ドイツの照明設計事務所勤務後、石井幹子デザイン事務所設立。
北米照明学会会員、国際照明デザイナー協会特別会員(Fellow)。
主な作品は、東京タワー、レインボーブリッジ、東京ゲートブリッジ、明石海峡大橋、白川郷合掌集落、浅草寺、海外では、ジェッダ迎賓館、上海ワールドフィナンシャルセンター他。
北米照明学会、国際照明デザイナー協会、東京都文化賞など国内外での受賞多数。
2000年紫綬褒章を受章。

石井幹子さん&石井リーサ明理さんのコラボレーションワーク
●「日仏交流150周年記念プロジェクト ラ・セーヌ−日本の光のメッセージ」パリ
●「日独交流150周年記念イベント  平和の光のメッセージ」ベルリン 他

(文/Integra Software Services 撮影/鈴木愛子)