家に迎えてくれる人をと担任の先生がアドバイス

母の母校である国立お茶の水女子大学附属の幼稚園から高校まで通った
母の母校である国立お茶の水女子大学附属の幼稚園から高校まで通った

―― 家で明理さんを誰かが迎える、というのはお母さんの方針だったのでしょうか。

石井 私の小学校の担任の先生が母に、「お嬢さんの帰宅時に『おかえりなさい』と言ってくれる人にいてもらうのがいいのではないでしょうか」とアドバイスしてくださったのです。それで母が祖母に頼んで、毎日家に来てもらうことにしたのです。そうした日常の出来事を話せる相手がいたことは、私にとってすごく大事だったように思います。

 ラッキーなことに、私のその担任の先生はかつて母の担任だった先生で、働く母のことをすごく思ってくださる方でした。ですが幼稚園のときは、同じ学年でお母さんが働いていたのは私とあと一人くらいでしたので、母も随分苦労したようです。

 子どもってみんな変わっているじゃないですか、一人一人。ところが、私が変わっているのは「お母さんが働いているせい」という見方をされたようなんです。それが母としてはつらかったと思います。

自分より先に仕事があったという事実に衝撃

―― 子ども心に、お母さんが苦労していると思われたのですか?

石井 いえ、当時は子どもでしたからよく分かっていませんでした。むしろ私は私で、周りから「お母さんがいなくて明理ちゃんはかわいそうね」と言われていたので、「私はかわいそう」と思っていた……というか思わされていた時期もありました。

 周囲にそう言われると、子どもなので「ああ、私はかわいそうなんだ」と思ってしまうのですよね。そういう社会的なステレオタイプの押しつけが子どもに反映していた例かなと、今になって思います。

 ある程度大きくなってから、「どうしてママはお仕事をするの?」と聞いたんです。4~5歳だったと思うのですけど。

 そうしたら「ママはね、あなたが生まれる前からお仕事していたのよ」と言われて、ガーン!と衝撃を受けました(笑)。「ええ、そうだったんだ?!」と。私より先行しているものがあるということ、そもそも母に、自分が生まれる前の時間があった、ということをそのとき初めて子どもなりに認識して、ダブルでショックでした。

 そう言われて、じゃあ、しょうがないと納得してしまいました。