コンプレックスを打開するきっかけが“社会”に目を向けることだった

堀江 原点をたどれば…、もともと私はコンプレックスの塊だったんです。医師の家系に生まれた三姉妹の末娘なんですが、とにかく本当に勉強ができなくて(笑)。小学校の時、算数で一桁の点数もとりました。親が医師なのに勉強ができない、スポーツもできない、背も低い…ないない尽くしで「何とかして自分を認めてもらいたい」という思いがすごくありました。学校は幼稚園からお茶の水女子大学附属に入ったんですが、学校でも「勉強以外のことで何か自分に価値をつけられないか」と必死でした。

羽生 すごく明るいオーラを放っている堀江さんが「コンプレックスの塊だった」とは意外ですね。

堀江 そのコンプレックスを打開するきっかけになったのが、“社会”に目を向けることだったんです。中学の授業で養護施設に行き、親から子への「虐待」を受けている子どもたちの現実に初めて触れて衝撃を受けてから、「子ども」「女性」「高齢者」といった社会的弱者の問題をすくいとるようなキーワードに関心が向くようになりました。そして、ボランティア施設にいりびたるようになりました。10代前半で「DVの会」に通ったり…。今思えば、かなり不思議な中学生だったと思います(笑)。

羽生 なかなかいませんよ!その会の皆さんもさぞ驚かれたでしょうね。

堀江 珍しいものだから、「あなた、そんなに若いのにえらいわね」「あなたに未来を託すから、がんばってね!」と声をかけてもらえるんです。それがなんだか「勉強以外で認められた」感じがして、すごく嬉しくなって。ますますのめり込んでいきました。25歳で起業した後に実家の荷物を整理していたら、中学3年生の時に書いた論文発表の用紙がでてきたんですが、「虐待」をテーマにビッシリと書いていました。「虐待が起こる原因は親自身にあるわけではない。周りのサポートが必要であり、“親になる前の教育”が不足していることが問題だ」と書いていて、思わず鳥肌が立ちました。私、15歳の時からまったく変わっていないじゃん!って。

羽生 えー!15歳で。人生時計に当てはめると「早朝5時」ですよ?! 堀江さん、起業する10年も前からすでに意識はほぼ定まっていたんですね。

堀江 課題意識はすでに芽生えていましたが、「自分が解決できる」という“自己有効感”はまだなかったと思います。その自己有効感を開花させてくれたのは、高校時代にお世話になった塾の先生でした。ちょっと変わりモノの先生でしたが、いつも「常識を疑え」と物事の本質を教えてくれて。授業の後、私が思っていたことを話したら「堀江さんの考え方はとても素晴らしいから、がんばりなさい。法律を変える方法もあるし、政治からアプローチする方法もある」とエールを送ってくださったんです。背中を押してもらい、福祉系の学科に進む道を決断できました。

羽生 多感な時期にいい先生と出会えるのって、人生の宝物になりますよね。先生も素晴らしかったと思いますが、その言葉を受け取る堀江さんの感性も豊かだったのでしょうね。(後編に続く)

(取材・文/宮本恵理子 写真/鈴木愛子)