障害者が電車やバスに乗れない時代があった

 1970年代、脳性まひ患者とその介助者の相互支援の団体「青い芝の会」が起こした運動です。

 今では信じられない話ですが、わずか40年ほど前、日本では車いすに乗った障害者の方々がバスや電車といった公共交通機関を自由に利用できなかったのです。

 理由は「じゃまだから」。現在の規格よりも狭かった車内に車いすごと乗り込むことも困難だったうえに、スロープやエレベーターが未設置の駅もほとんど。そもそも改札の幅が狭くてホームすら入れない。そんな環境が“当たり前”の時代だったんですね。

 “当たり前”というのは恐ろしくて、その環境に暮らす人々の思考を停止させます。「障害者が電車やバスに乗れない」ということに疑問を持つ人はほとんどいなかった。障害者の方が「乗りたい」と希望しても、それはワガママと取られる時代だったんです。

 その“当たり前”に疑問を投げかけ、行動を起こしたのが「青い芝の会」でした。特に社会に大きなインパクトを与えたのが、1977年の「川崎バス闘争」です。

 某バス会社の障害者乗車拒否に対する抗議を表明するため、ある日、全国から集まった100人以上の脳性まひ者と介助者が数十台のバスに乗り、実質的に占拠したのです。あらかじめマスコミを呼ぶという用意も周到で、結果、全国に向けて大きな“問題提起”を投げかける結果となったのです。

 そして今、僕達が暮らす社会では当たり前のように脳性まひの方々が電車やバスに乗っています。脳性まひ以外の理由で車いすを使う人も乗れるし、ベビーカーも乗車できます。マイノリティーが声を上げることで、世の中の常識が変わり、街の風景も激変したのです。