豊かになっても欧米人並みに肉を食べるとは限らない

 所得が向上すればどこの国でも欧米式の生活を望むと決め付けたことも、くだんの「予言書」の誤りだったと、川島さんは指摘します。目指すべき「豊かな生活スタイル」は、国により地域により違って当然。そこには伝統や好みが大きく関わるに違いありません。

 「アメリカ人の1人当たり食肉消費量は年間110~120キロほど。近年は鶏肉の消費量が上回っていますが、牛肉のそれがまだ4割ほどを占めます。13億人もいる中国人の一部でも彼らの食生活に倣えば、飼料用の穀物需要は爆発的に増えるでしょう。しかし中国人の食肉消費量は、確かに以前より増えたとはいえ、まだ年間1人当たり50キロ強(日本人は50キロ弱)というところ。しかも、牛肉より飼料が少なくて済む豚肉が中心です。日本の例を見ても、所得向上による食生活の変化は経済成長の早い段階で起きますから、今後は増えるにしても微増にとどまるでしょう」

 経済発展に比例して食肉消費量が増えそうにないのは、社会の上流に属する人ほどベジタリアンが多いインドも同じこと。そのインドの人口増加は目立ってペースダウンし、今後本格化するアフリカのそれも21世紀後半には一段落します。

 「アフリカの人口は従来の予想を超えて増えていますが、これは食糧生産量の伸びに支えられてのことです。ちなみに言えば、地球温暖化による凶作が食糧危機を招くという説も疑問。多くの研究者は今後100年の気温上昇は2~3度ほどにとどまり、その程度であれば全体の生産量はかえって増えると考えています」

東京大学大学院農学生命科学研究科准教授の川島博之さん
東京大学大学院農学生命科学研究科准教授の川島博之さん

食糧危機説がしぶといのは食糧確保が仕事の組織が多いから?

 なぜ食糧危機説が根強く世間に流布し続けるのか? 一つには人々の心の底に飢餓への恐怖があるからだと思われますが、川島さんはもう一つ見過ごせない理由があると言います。それは食糧の確保という人類的課題を担って作られた組織が、今も数多く存在すること。ご多分に漏れず、そこには既得権益があり、あればそれを守りたいという意識が働くわけです。

 「1960年代ごろまで、食糧の確保は確かに人類が解決すべき大いなる課題でした。その後、ある決定的な出来事によってそれはほぼ解決したのですが、世界中にはなお、食糧確保を至上命題に掲げた組織がたくさんあります。例えば日本の農林水産省、もしかしたら東京大学農学部もそうかもしれません(笑)。彼らが自らの存在価値を維持するために食糧危機説に便乗しているとは言いませんが、あえて方向転換するよりはそのほうが楽なので、いわば惰性で食糧問題にしがみついているところがあるように思います」

 川島さんは2009年、その著書『「食糧危機」をあおってはいけない』(文藝春秋)で脚光を浴びました。農水省の主張とは真っ向から対立する内容ながら、クレームは一切なかったとか。公開討論を望んでいたのに逃げられた形の川島さんとしては、大いに憤慨したそうです。

 ―――後編では、「食糧問題をほぼ解決したある決定的な出来事」に迫りましょう。

(取材・文/手代木建 イメージ写真/鈴木愛子)