救助が来るまで浮いていられる「背浮きのプロ」を育てたい

 授業が終わった後、東京海洋大学 大学院の田村祐司准教授に、「浮いて待て」についてお話を伺いました。

東京海洋大学 大学院准教授 海洋科学系 海洋政策文化部門 海洋スポーツ 健康科学研究室 田村祐司 博士
東京海洋大学 大学院准教授 海洋科学系 海洋政策文化部門 海洋スポーツ 健康科学研究室 田村祐司 博士

──田村さんは、どうして「浮いて待て授業」を行っているのですか。

 水難事故は、毎年多く発生します。消防の救助隊の方は、日ごろから水難救助のトレーニングを重ねているのですが、なかなかその技術が生かせません。なぜかというと、救助隊が現地に着いたときは、溺れた人の多くが水の中に沈んでしまっているから。そこで、溺れた人が救助が来るまで浮いていられる「背浮きのプロ」をつくろうということになったんです。

 多くの水難事故では、服を着たまま水の中に落ちます。昔は携帯電話等の通信インフラが未発達だったので、消防への通報がすぐできず救助隊も今のように数分で現場に到着できませんでした。そこで着衣状態で溺れたときのために、着衣で水泳の訓練が必要ということになり、20年前から筑波大学の水泳研究室の先生方が中心になって「着衣泳」が全国的に普及しました。着衣泳では、「そのまま泳ぐと力尽きるから、浮力体を使って浮こう」とか、「クロールは水の抵抗があって泳ぎにくいから、平泳ぎにしよう」というようなことを伝えてきました。

 しかし、たとえ平泳ぎでも体力は消耗します。力尽きて溺れてしまっては、元も子もない。「背浮きのプロ」に求めているのは、少しでも長く背浮きで浮いていてほしいということ。それなら、長く浮いていられる方法だけを教えようということになりました。そこで、小学校や中学校の安全水泳や水難水害防災教育の一環として、一般社団法人水難学会がボランティアベースで草の根的に全国へ広げていこうということになったんです。

津波被害に遭った小学生も「背浮き」で助かった

──「浮いて待て」が、実際に人命を救った例はありますか。

 あります。例えば、2011年に起きた東日本大震災で津波の被害を受けた宮城県でも、「浮いて待て」が子どもの命を救いました。

 震災の日、海岸から1.2キロ内陸にある宮城県東松島市で、ある小学校の体育館に津波が押し寄せました。このとき、体育館にいた小学生の一人は、海水が渦を巻く中、とっさに背浮きを実践しました。お母さんに名前を呼ばれたときも「肺の空気が抜けて沈んでしまうから返事は1回にした」とのことです。そして、少し長く浮いていた結果、命が助かったとのことでした。

 この小学校では、10年来、着衣泳の授業を行っていました。この児童も、6年間にわたって着衣泳の授業を受けていました。このとき、すぐ沈水してしまった校長先生も、着衣泳の授業で聞いていた「力を抜けば人は浮く」という言葉を思い出し、力を抜いて背浮きになり、呼吸を整えた結果、命が助かりました。

 他にも、こんな例があります。昨年7月、静岡県伊東市沖で、お昼過ぎにシュノーケリングをしていた男性が仲間とはぐれてしまいました。そのとき、男性は「救助が来るまで、背浮きで浮いて待っていよう!」と思い、背浮きのまま約40キロを漂流した後、約20時間後に下田市の海岸で救助されたそうです。

 この事件には、さらに後日談があります。和歌山県に住むお父さんと兄弟二人が、このニュースをテレビで見ていました。その後、8月に家族で海水浴に行ったとき、お父さんが「この前、テレビで見た背浮きをやってみよう」と言い、三人で背浮きの練習したそうです。その後、お兄ちゃんが海で溺れてしまい、お父さんが助けに行きました。すると、心細くなった弟も付いてきてしまい、結果、三人で溺れてしまったそうです。そこでお父さんは「背浮きだ!」と声をかけ、すぐに三人とも背浮きをした結果、救助が来るまで浮いていられたそうです。