仕事にやりがいがあると、喪失感も大きい

 もちろん、私に対して仕事が楽しかったと語る男性はたくさんいました。仕事が苦痛や抑圧でしかないという見方は単純過ぎます。「やりがいの源泉としての仕事」という側面もあるわけです。こうした見方について、いくつか紹介してみましょう。

「仕事をしているのが楽しいから、忙しくても過労とは思わないでやっていたんですね。いろんな意味で、仕事ってのは挑戦なので楽しいよね

 自分も同じだとうなずくパパは少なくないと思います。生活時間のほとんどを費やしているのですから、仕事が楽しいに越したことはありません。さらに、自分にしかできない仕事があるという気持ちがあると、そのような思いは深くなっていくようです。

「仕事をしているときは僕への期待がすごかった。それに応えようとしてやっていたから、他の組織に移って職を辞めるときにみんなに泣かれちゃった。でも、定年退職してからは、僕でなければ絶対にダメだということではない

 ただし、気を付けなければならないのは、やりがいを強く感じているからこそ、仕事から離れる際に喪失感が大きくなってしまうということです。「やりがいの源泉としての仕事」に依存し過ぎると、実際には、定年してからも、ボランティアや地域活動などの場面で役割を果たすことができるのに、自分にしかできないことが無くなってしまったと落ち込んでしまいます。

どんな仕事もいつか終わる日が来る

 ここまでの議論を整理してみましょう。「耐えるものとしての仕事」の裏には、「離職による解放感」があります。仕事を苦痛と意味付けていれば、定年は解放のときになるわけです。一方で、「やりがいの源泉としての仕事」の裏には、「離職による喪失感」があります(下図)。仕事にやりがいを感じている場合には、それだけ退職後の喪失感が大きくなってしまうのです。

 定年退職した男性のインタビューを様々にしていて私が思ったのは、「働くこと」が持つ多様な意味です。私達にとっても、「働くこと」は固定的ではなく、楽しみもあれば苦しみもある流動的なものとして経験されています。仕事が苦痛であれば終業や休日を楽しみに待てばいいのですが、一方で、働くのが楽しいときこそ仕事依存になっていないか警戒する必要があります

 仕事はつらいだけでもなければ、楽しいだけでもない。単純な事実ですが、頭に入れておくと気が楽になるはずです。そして、いずれにしても、いつかは終わりの日が来ることを頭に入れておいてください