「女は家庭」の時代でもあった

 ただ、われわれが乳幼児だったころは、働くママは多くありませんでした。皆さんは共働きでしょうが、自分の母親は専業主婦だったという人が結構おられるかと思います。それは統計にも表れており、働く女性の割合の年齢グラフを描くと、私が1歳だった1977年では、女性の有職率の「谷」が深くなっています。

 これは戦後初期のころまでは農業社会であり、女性も重要な労働力でしたが、高度経済成長期を経て雇用労働化が進むとともに、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分業観が根付いたためです。われわれは、人格の礎が築かれる乳幼児期に、こういうモデルの純粋型を見ながら育ったことになります。「男子はこう、女子はこう」という性別のしつけも、他の世代に比して強かったのではないでしょうか。

 筒井淳也教授の『仕事と家族』(中公新書)では、夫婦の家事分担が進まない原因の一つとして「男女の家事スキル格差」が指摘されていますが、母親が家事を一手に担ってくれていた幼少期の体験が暗に影響しているのかもしれません。私達は、男女共修の家庭科教育が実施される前の世代でもありますしね(中学校での家庭科男女共修は1993年から)。

児童期はテレビゲームと共にあった

 次に児童期ですが、われわれが小学校に上がったのは80年代の初頭です。まず押さえておくべきは、私達も「ゆとり世代」だったということ。高度成長期の詰め込み教育が反省され、1977年に「ゆとり・内容精選」の方向で学習指導要領を改訂。1980年度より、それが施行されたのでした。私は漢字の書き取りが苦手で、よく居残りをさせられましたが、「ちょっと前までは、覚える漢字がもっと多かったのよ」と、担任の先生に言われた記憶があります。

 遊び(娯楽)はというと、マンガを貪り読み、テレビをよく見ていました。ネットなど無かったですから、これらの視聴時間は、今の子どもよりもはるかに長かったと思われます。

 それと、われわれは真正の「ファミコン世代」、テレビゲーム第一世代です。ファミコンが発売されたのは83年ですので、私達の児童期はファミコンと共にあったといえます。ドラクエなどは大ヒットし、発売日には学校サボっておもちゃ屋に並ぶ子どもが続出。プレーの順番をめぐって兄弟間で殺人事件が起きるなど、社会問題にもなりました。80年代後半はバブル期で親の財布のヒモも緩んだのか、派手な消費をした児童期だったと言えるかもしれません。