長男の嫁、学校では主任、家事育児仕事のハードな日々

――家族は、母親が働くことへの理解はありましたか? 

 最初のお給料を、お姑さんに渡したら大感激されたんですよ。「息子も娘もくれないのに、お嫁さんがお給料をくれた」って。子どもの面倒を見てくれるお姑さんに、感謝の気持ちで渡していました。

 ただ、家事はみんな、あまり手伝ってくれません。仕事を終えて帰って、子どもをおんぶしながら大家族の夕食を作っていました。家族はその間、巨人阪神戦をずっと見ていたのを覚えています(笑)。朝ごはん一つでも、パンを食べる人、お粥を食べる人、ご飯を食べる人とみんなバラバラで、必死で用意してから出勤しました。若かったからできたと思います。

 子育てにおいては、2人とも自分の学校に一緒に通って卒業したのですが、「もっと話を聞いてほしかった」と言われることもあります。学校では、自分の子を先に怒らなければならない辛さもありました。

――教師として両立の日々、想像以上にハードだったんですね。それでは、一教師としてキャリアを再開させてから、校長に至るまでの話を聞かせてください。 

 入ってすぐに1年生の担任をしました。保護者から「今後も陳先生に1年生を持ってほしい」と言われ、17年間ずっと1年生の担任でした(筆者注:小学校1年生は学校教育の基礎になる点と、保護者の不安が大きな学年なので力量のある先生が持つことが望ましい)。入ったころは華僑の子がほとんどの学校で、人数は幼稚園から中学部まで合わせて80名程度でした。教員免状を持っている先生が少ないため、改革の必要性を強く感じました。

 入って2年目に、生活指導の主任を命じられました。当時、主任としては若かったのと家事育児との両立もあり、大変辛かったです。主任を外してもらうには、長男の嫁として男の子を産むことを期待されていたこともあり、妊娠・出産しかないと2年ほど休みました。無事に男の子が産まれて良かったです(笑)。

 その後、復帰したらすぐに教務主任を命じられました。行事や指導のこと、保護者対応などの改革を積み重ね、53歳の時に理事会から指名されて、校長の任に就きました。

――先生は、仕事に向き合う時に「変えたい!」と思ったら動くタイプですか? 

大阪中華学校の体育祭には、敷津小校長として来賓で招かれる。今年も、台湾の伝統芸能である獅子舞に、汗だくで取り組む子ども達に感激した。敷津小とは、授業や行事を通じて交流がある。
大阪中華学校の体育祭には、敷津小校長として来賓で招かれる。今年も、台湾の伝統芸能である獅子舞に、汗だくで取り組む子ども達に感激した。敷津小とは、授業や行事を通じて交流がある。

 基本的には「真面目」ですね。うまく行っていないところを見つけると、何とかしなければ気が済まない。その分、抱え込んでしんどくなってしまう。まず、子どもの数が少ないと、子ども達がかわいそうです。そして、単なる知識だけを身に付けるなら、塾でもなんでもいい。台湾の教育を日本で行う芯には、「心を育てる」意義があります。中華学校では、小さな子ども達にも人間として大事な基礎基本を教えています。中華学校の卒業生には、人と人の間を丸くつないでいくような、地球村の大黒柱になってほしい。だから、1年生から日本語・中国語・英語の教育を行っています。そういった地道な改革の結果、80名だった生徒数が260名を超え、台湾の子以外に多国籍の子どもが通ってくれています。

 最近では、台湾で育った優秀な教師を海外に派遣する事業が本国で進んでいます。中国語指導へのニーズが高まっていることから、国家戦略として教師の育成が求められているのです。大阪中華学校でも、台湾の大学から実習生を受け入れたり、逆に本校の先生を海外に派遣して学んでもらったりしています。日本と台湾の架け橋になることも、私の仕事です。

挫折して、いっぱい泣いて、人間として鍛えられた

――リーダーになる女性には「自分の意志で道を切り拓く」タイプと、「求められるままに仕事をしていたらリーダーになっていた」タイプがあるように思っています。陳先生は後者のように思います。日本に来ていなかったら、校長先生になっていなかったのでは……。 

 いや、台湾で教師を続けていても、校長にはなっていたと思います。台湾は男女平等に加えて、レディーファーストの国ですから、女性リーダーは多くいます。それに、台湾にいたころの私は、大勢の前に立つことが好きな自信たっぷりの人間でした。そのまま校長になれていたとしても、人間として不幸になっていたと思います。それが、日本に来て、言葉も何もわからない挫折からスタートして、たくさん泣いて、失敗したおかげで、素晴らしい仕事やご縁に恵まれました。今は、感謝しかありません。

――現在、60歳でおそらく65歳ぐらいまでは校長を続けられると思うのですが、これからの仕事で考えていらっしゃることはありますか? 

 本校でも面接の時に、苦しんでいる保護者に出会います。そんな時、包まれてほわっとなるような、そんな存在でありたいと思っています。今までの経験を活かして、人よりも低い場所で人を支えられる人になりたいですね。

――私もいつも、陳先生に会うと心がほわっとします。今日も楽しく、元気づけられるインタビューでした。ありがとうございました! 

 陳先生の話を通じて、産後の女性にとっての仕事には「社会とつながる喜び」があるのだと、改めて感じた。特に、言葉の通じない、友だちもいない土地での家事育児の日々は、想像を絶する。敷津小にもいる、外国から来た保護者の辛さも感じることができた。陳先生のように、悩む人を「ほわっと包み込む」存在に私もなりたい。そう思える、インタビューだった。