接する時間は短くても、母との絆は強かった
日経DUAL編集部 奥様が入院という状況になって必要に迫られてという面もあるとは思いますが、お子さんとは小さいころからしっかりと向き合ってこられました。佐々木さんご自身はご両親とどのような関係でしたか?
佐々木常夫さん(以下、敬称略) 私は4人兄弟の次男です。父は私が6歳のときに、結核で亡くなりました。母は27歳で未亡人となり、4人の子どもを一人で養っていかなくてはならなくなった。手に職も無かったので、父の兄がやっていた雑貨商で働き始めました。毎朝6時には仕事に出て、帰ってくるのは夜の10時。午後2時くらいまでは秋田駅前の市場にあった支店にいて、その後、本店に移動する途中、うちに寄って子ども達のために夕飯の支度をしてまた出ていく。そんな毎日です。休みが取れるのはお盆と正月くらい。まさに働き詰めでした。
―― 親子の時間は短いけれども、密だったということでしょうか?
佐々木 確かに短かったです。先日、ある対談で相手の方から「親子で接する時間が長かったからこそ、今の家庭が築き上げられた」と言われたことがありました。しかし、私はその考えには納得できません。もしそうだとしたら、うちの家族はどうなりますか? 接する時間なんてほとんど無いわけですから。それでも母と私達兄弟には絆がしっかりある。
接する時間の長さは問題ではないのです。生き方、生き様、向き合い方なんだと思います。親がどんな考え方で生きているのか、どうやって子どもに向き合っているのかということは、子どもにはちゃんと分かります。だから時間の問題ではないんですよ。家族の絆の強さは、一緒に過ごした時間の長さに比例しないというのが持論です。