人生の先輩から、ワーキングママ&パパに役立つ言葉や発想を伝授してもらう「先輩デュアラーの魔法の言葉」シリーズ。障がいを持つ子どもと病気の妻を抱えながら、同期トップで東レの取締役に就任するなど仕事でも成果を上げてきた佐々木常夫さんにお話を伺っています。

もともと育児と家事は主に奥様が担っていたという佐々木家。長時間労働が当たり前の風潮の中、佐々木さんは違和感を抱き、時には意見を主張しつつも上司の方針に従っていました。奥様の発病とともにそうした生活が一変。仕事に加え、佐々木さんが家事と育児を一手に引き受けることになるのです。休む間もない過酷な状況ながら子ども達との触れ合いに大きな喜びを見いだし、家族と向き合う日々。一方では仕事が原動力となり、困難な時期を乗り越えられたと言います(「佐々木常夫 ワークもライフも絶対に諦めない」)。

どんな状況でも諦めず、前向きに生きていこうとする佐々木さんのバックボーンはいかにしてつくられたのでしょうか? 大きな影響を受けたというお母様との関係、そしてそれが子ども達との向き合い方にどう生かされているかを伺います。

<目次>
●接する時間は短くても、母との絆は強かった
●兄弟を説得して母に再婚を勧めた
●「自立した」と自覚したときから母と対等な関係に
●ギリギリまで追い詰められたとき、息子が助けてくれた
●自分の息子、娘である前に「一人の人間」と捉える
●ある時期から子ども達との付き合い方を変えた
●夫婦間も部下との関係でも「聞くこと」が大事
●家族は黙っていても分かり合える、は幻想

接する時間は短くても、母との絆は強かった

日経DUAL編集部 奥様が入院という状況になって必要に迫られてという面もあるとは思いますが、お子さんとは小さいころからしっかりと向き合ってこられました。佐々木さんご自身はご両親とどのような関係でしたか?

佐々木常夫さん(以下、敬称略) 私は4人兄弟の次男です。父は私が6歳のときに、結核で亡くなりました。母は27歳で未亡人となり、4人の子どもを一人で養っていかなくてはならなくなった。手に職も無かったので、父の兄がやっていた雑貨商で働き始めました。毎朝6時には仕事に出て、帰ってくるのは夜の10時。午後2時くらいまでは秋田駅前の市場にあった支店にいて、その後、本店に移動する途中、うちに寄って子ども達のために夕飯の支度をしてまた出ていく。そんな毎日です。休みが取れるのはお盆と正月くらい。まさに働き詰めでした。

―― 親子の時間は短いけれども、密だったということでしょうか?

佐々木 確かに短かったです。先日、ある対談で相手の方から「親子で接する時間が長かったからこそ、今の家庭が築き上げられた」と言われたことがありました。しかし、私はその考えには納得できません。もしそうだとしたら、うちの家族はどうなりますか? 接する時間なんてほとんど無いわけですから。それでも母と私達兄弟には絆がしっかりある。

 接する時間の長さは問題ではないのです。生き方、生き様、向き合い方なんだと思います。親がどんな考え方で生きているのか、どうやって子どもに向き合っているのかということは、子どもにはちゃんと分かります。だから時間の問題ではないんですよ。家族の絆の強さは、一緒に過ごした時間の長さに比例しないというのが持論です。