ギリギリまで追い詰められたとき、息子が助けてくれた

―― 佐々木さんがお子さん達とそういった良い関係を築いてこられたのは、ご自分とお母様がそうだったように、お子さんが小さいころからずっと親子の会話を大切にされてきたからでしょうね。そうすると、思春期や反抗期も特に問題は無かったのでしょうか?

佐々木 それでもやっぱりね、次男には難しい時期がありました。私が反省していることですが、障がいのある子を持つ親が気をつけるべきなのは、障がいを持っていない子どものこと。親の手や時間が、すべて障がい児のところに注がれてしまう。そうなると、他の子ども達にも影響が出ます。

 次男は、中学生までは典型的な優等生。運動ができて成績も抜群でクラスの委員長もやっていたのに、高校に進学した後から徐々に変わり、浪人中や大学入学の際、一緒に暮らしたくないと親を敬遠して一人暮らしをしていました。

―― 傍から見れば、とても自立心のある息子さんだと思いますが……。そうした距離のある状態から、どのようにして再び家族に交わってくるようになったのでしょうか?

佐々木 次男は大学でまた遊びほうけて、卒業するのに7年かかりました。下宿を続けており、しばらく離れていたんですよ。そうしているうちに妻の症状が進行し、精神的な不安定も高じてきたときに、私から次男にSOSを出しました。そうしたら戻ってきてくれたんです。仕事と看病でてんてこ舞いの私の生活を心配してね。

 私は会社では経営企画室長を経て、2001年に同期トップで取締役に就任。仕事面でも多忙を極め、緊張の連続でした。何しろ妻は入退院を繰り返し、1年の半分は入院生活を送っていましたから。仮に退院しても精神状態が安定しませんから危ないことがある。うつ状態で自殺しそうになるし、そうなるとこちらも仕事どころじゃない。

 今では「ワークライフバランスの実践者」なんて言われていますが、当時は「ギリギリのところで何とかしのいでいる」という状態でした。限界まで追い込まれた私を息子が見かねて、うちに戻ってきてくれたわけです。

自分の息子、娘である前に「一人の人間」と捉える

―― 娘さんにもSOSを出したことがあると著書『ビッグツリー』にもありました。子どもが大きくなってからは、親が子どもを頼ることもある。そういう関係を築くためにはどうしたらいいのでしょう?

佐々木 特別なことをするわけじゃありません。こういうことをすればOKという絶対的な法則は無いですよ。「家族に対する愛情を持てるか、持てないか」。それだけのことではないでしょうか。家族の愛情というのは無償の愛であり、いちばん確かなものだと思います。

 それから私は子ども達と、「自分の息子、娘」である前に、「一人の男性、一人の女性」として向き合ってそういう付き合い方をします。母と私がそういう関係であったのと同じ。子ども達が大人になったらそういう関係にしようと思っていました。