兄弟を説得して母に再婚を勧めた

―― お母様はどのような方だったのでしょう?

佐々木 夫を早くに亡くして苦労も多かったでしょうが、明るく前向きでしたね。私達兄弟に「与えられた運命を引き受けて、その中で頑張ろうね」とニコニコしていました。母のこの言葉は、私の人生の指針ともなっています。

 私は大学に入って親元を離れましたが、たまに帰省して母とごはんを食べていると、母は自分の初恋の話とか、「その初恋の男性とこの間会った」という話までしてくれるんです。昔好きだったのが自分の先生だったことを教えてくれたので、「お母さんが昔好きだったのは、先生だったの?」と水を向けると、「そうそう、こういう先生でね」と楽しそうに話してくれました。

 母は私を友達のように思っていたようです。対等な目線で見てくれていました。私のほうも母のことを母親である前に一人の女性だと思っていました。他の3人の兄弟はそうじゃなくて、母親はあくまでも母親というとらえ方でしたが。

佐々木常夫さん
佐々木常夫さん

 あるとき、母に縁談が持ち上がりました。私は以前から「いい人がいたら、結婚したら」と言っていたんですが、母のほうはプロポーズされても断っていたらしい。それでも相手の方が熱心だから「子どもが全員賛成してくれたら結婚します」と答えたようです。

 それで4人の息子を集めて聞いたら、3人が絶対に反対。賛成したのは私だけでした。私は「母は我々の母親である前に一人の女性なのだから、その女性が幸せをつかもうとしているときに、それを奪う権利は子どもにだってない」と説得し、結局、母は再婚しました

 そういえば、その結婚の直前にこんなことがありましたね。「初恋の先生からもらった手紙をたくさん持っているんだけど、どうしたらいいかしら?」と母から相談されたので、「そんなものを持ってお嫁に行くやつがあるか」と私は一喝(笑)。そんな話を息子にする母親はなかなかいないでしょう(笑)?

「自立した」と自覚したときから母と対等な関係に

―― お母様とそうしたフランクな関係になったのは何歳くらいのことですか?

佐々木 私が母親に対して一人の女性として向き合うようになったのは、高校2年生くらいのときですかね。再婚を勧めたのもちょうどそのころです。「自立した」という意識が自分の中に確立した。自分なりの考えをもつようになったし、母に対しても意見を言えると感じた時期があって、そのころからです。母も自然にそれを受け入れ、私に意見を求めるようになりました。

 私と息子、娘の関係も今はそれと同じです。何でも話してくれますし、私も色々と話します。