当時フランスにいたブラッドだが、妻からの連絡を受けると、数時間のうちに飛行機に乗って彼女の元へ駆け付けたという。迷う彼女を心から励まし、支え、大きな力になった。手術を選んだことについては彼女はニューヨーク・タイムズ紙への寄稿文にこうつづった。

 「私は自分のためにも家族のためにも、手術を受けるという選択は、女性らしく、納得のいくものだと感じています。これで子ども達が『ママは卵巣がんで死んだ』と言わずに済むのです」

 自分のことよりも家族を思うあまり、彼女は大きな選択をした。

 闘病生活の間は生気を失い、痩せ細り、目の下にはクマができ、日に日に輝きが失われてしまったという。 大好きだった仕事もすべて断り、衰えていく彼女を支えたのは、やはり夫や子ども達だった。いつも周囲を大切に考えてきたからこそ、自分のことで精いっぱいになるような状況に陥ったとき、温かいサポートを得ることができたのだろう。

(文/斉藤真紀子)