ピアノ開始2年目に“表現する才能”が見いだされた

―― 細田先生のレッスンはどのような方針だったのでしょうか?

雅子さん 30分から1時間程度の個人レッスンで、あまり細かなことは仰らず、好きなように弾かせてくれていたと記憶しています。技術を指導するというより、音や曲に興味を持てるように誘導してくださっていましたね。先生が「これはこういう曲なのよ」と子どもにも分かるように説明してくださり、華音が「じゃあ、これは○○なの?」なんて質問をして。そんなお話をしながら、一緒に曲のイメージを膨らませていました。

華音さん 上手に弾くことを目指していたわけではなくて、ただ演奏することを楽しんでいた、という感じです。

―― それが、6歳にしていきなりロシアに留学することに……。

雅子さん 細田先生が招いたロシアの音楽学校の先生が、華音の演奏を聴いて入学を勧めてくださったんです。「この子は弾くことを楽しんでいる。自分なりに音を受け止めて表現しようとしている」という点を評価していただいたようです。

 夫は海外に暮らした経験があり、「音楽のことは分からないけれど、将来、世界を舞台に活動したいと本人が思ったときに後悔しないような教育を最初から受けさせてあげたい」という思いを持っていました。そして可能な限り、精いっぱい応援してあげたいと背中を押してくれました。華音がまだ小さかったので私がモスクワに一緒についてゆき、夫は日本に残って、父親ができる形で応援することにしました。

 今思えば、あのときに金銭的な問題やその他様々なことを深く考えていたら、モスクワに渡る決心はできなかったかもしれません。抽象的な表現にはなりますが、湖畔を散歩していたら目の前にボートが現れたのでつい乗ってしまった……。乗ってから考えたことのほうが多かった、という感じでした。

 例えば、モスクワではまずお家賃が高くてびっくりしました。あちらに行けば私達はもちろん「外国人」。小さい子どもと母親の私との生活でしたから、安全性の確保にはかなり気を使いました。また、ピアノのお稽古ができる住環境でなくてはいけませんでしたから、なおさら選択肢が少なくて大変でした。

 また最初はロシア語が全く分かりませんでしたから、日々の食料品も、ロシア人の方が利用するような安い市場には行けず、自分で選んでカゴに入れてお買い物ができる高級スーパーマーケットで買うしかありませんでしたし……。大切な場面では、通訳の方にお願いしなければならず、音楽を勉強するための授業料だけではなくそういった費用も随分掛かってしまいました。

6歳で才能を見いだされた華音さん。雅子さんと二人でロシアに渡って新しい生活に飛び込み、半年後に控える音楽学校の入学試験に備えてレッスンに取り組みました。その間にコンサートに参加する機会があり“演奏する喜び”を改めて実感。この地でピアノを学ぶ決意を固めたのでした。後に、4歳になった弟もロシアに移り住み、母子3人での生活が始まりました。