1972年、洋上研修船CORAL PRINCESS号の前で家族と。4歳のローランド少年の水兵服姿が愛らしい
一番古い記憶は、誰もいない家で……
日経DUAL編集部 桐島洋子さんは第一子のかれんさんを産む直前まで職場で妊娠を隠し、「病気休暇」を取って出産。産んでから6日後には職場に復帰しました。ノエルさんのときは「船上出産は医療費がかからない」という理由で船の上で出産し、ローランドさんを出産後はそのまま1年間、東京・港区の愛育病院に預けて、仕事のためにアメリカに渡りました。
3人の子どもを一人で養うために働き続ける、こうした母の姿を、子どものころはどんなふうに受け止めていましたか?
桐島ローランドさん(以下、敬称略) 僕の一番古い記憶は、誰もいない家に一人でいて、寂しくてひたすら泣いているというものなんですよ。でもこれはすごく抽象的な記憶で……いくつだったかとか、実際にどういう状況だったのかとか、細部は曖昧です。
―― いきなり胸がキュッと締め付けられるエピソードですね。でも、大きくなるにつれてその寂しさは無くなっていくのでしょうか?
次ページから読める内容
- 母を誇りに思う気持ちが芽生え、やがて自由を楽しむように
- 不在がちではあっても、父親のような大きな存在だった
- 包容力のある近所の人々が親代わりをしてくれた
- 生まれた病院でかつての“母親”の一人と再会
- 欲しい物を手に入れたければ母を説得すべし