働くシングルマザーとしての潔い生き方が強烈な印象を放ち、多くの女性に影響を与えた桐島洋子さん。1972年に『淋しいアメリカ人』で第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなど作家・エッセイストとして第一線で活躍する傍ら、未婚のまま、かれんさん、ノエルさん、ローランドさんの三姉弟を育て上げました。ベストセラーの『聡明な女は料理がうまい』(1976年)他、多数ある著書は今読んでも新しく、女性の一つの生き方を示しています。
 そんなビッグネームを母に持つ桐島ローランドさん。写真家として活躍するだけでなく、2007年にダカール・ラリーを二輪車で完走したり、2013年に参院選に出馬したりと、常に新しい何かに挑んでいます。その軽やかなフットワークとチャレンジ精神の源にあるのは、間違いなく「桐島洋子のDNA」。果たしてローランド少年は働く母の背中を見ながら何を考えていたのでしょうか。

1972年、洋上研修船CORAL PRINCESS号の前で家族と。4歳のローランド少年の水兵服姿が愛らしい
1972年、洋上研修船CORAL PRINCESS号の前で家族と。4歳のローランド少年の水兵服姿が愛らしい

桐島ローランド
1968年東京都生まれ。母親は作家の桐島洋子さん、父親はアメリカ人退役海軍中佐。三人姉弟の末子で、長姉はモデル・女優の桐島かれんさん、次姉はエッセイストの桐島ノエルさん。ニューヨーク大学芸術学部写真科卒業後、写真家としての活動を始める。現在はスタジオ経営なども行い、マルチクリエーターとして活躍。11歳の娘と9歳の息子の父親でもある。

一番古い記憶は、誰もいない家で……

日経DUAL編集部  桐島洋子さんは第一子のかれんさんを産む直前まで職場で妊娠を隠し、「病気休暇」を取って出産。産んでから6日後には職場に復帰しました。ノエルさんのときは「船上出産は医療費がかからない」という理由で船の上で出産し、ローランドさんを出産後はそのまま1年間、東京・港区の愛育病院に預けて、仕事のためにアメリカに渡りました。
 3人の子どもを一人で養うために働き続ける、こうした母の姿を、子どものころはどんなふうに受け止めていましたか?

桐島ローランドさん(以下、敬称略) 僕の一番古い記憶は、誰もいない家に一人でいて、寂しくてひたすら泣いているというものなんですよ。でもこれはすごく抽象的な記憶で……いくつだったかとか、実際にどういう状況だったのかとか、細部は曖昧です。

―― いきなり胸がキュッと締め付けられるエピソードですね。でも、大きくなるにつれてその寂しさは無くなっていくのでしょうか?

次ページから読める内容

  • 母を誇りに思う気持ちが芽生え、やがて自由を楽しむように
  • 不在がちではあっても、父親のような大きな存在だった
  • 包容力のある近所の人々が親代わりをしてくれた
  • 生まれた病院でかつての“母親”の一人と再会
  • 欲しい物を手に入れたければ母を説得すべし

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