スポーツは習い事じゃない、楽しみだ

── なぜ、親に遊び心が足りなくなってきたんでしょうか?

セルジオ越後 今の親世代が子どものころから遊んでなかったっていうこと。ビー玉で遊んでもいないし、凧揚げもやっていない。自然のなかで遊ぶといった経験もほとんどない。昔の子どもが普通にやっていた遊びを何もしないで育った大人が今、親になってきているでしょ。

 いくら小さいころからサッカーとか野球をやってたって言っても、それは全部、サッカー教室だとか野球教室で、習い事といった感覚なの。すべてが“授業を受けている”感覚。指導者に言われたことしかやらないというか、本当の意味で遊んだという経験が極めて少ない。自然に子どもたちが集まってドッジボールをやったり、公園で先輩や後輩、年齢関係なく交わって遊ぶとか、そういったことを経験していない。

 自分が経験してきたことが知識となって、いざ子育てをするとなると、結局、スポーツを何かやらせたいと思った時に、何でもかんでも「まずはどこかの教室に入れよう」っていうことになるんだよ。スポーツをさせる=体育の授業を受けさせるっていう感覚なの。

 スポーツを子どもにやらせたいと思った時に親に知っておいてほしいことがあるのね。それは、「体育」と「スポーツ」は違うっていうこと。体育は「訓練するため」にやらせるものであって、スポーツは「エンジョイするため」にやるもの。体を動かしてエンジョイしながら、遊びのなかで団体行動を自然に学んで、大人として自立していくために役立つ。それがスポーツなんだということを忘れないでほしい。

共働きだからと、罪の意識を感じて甘やかしてしまうのは間違い

── 何か教室に入れよう、と考えてしまう親が多いのは、確かにそうかもしれません。

セルジオ越後 子育て環境というのは全部、大人の都合で変わってきたわけ。少子化で育てる子どもの数は減ったけれど、夕方まで預かってくれないと困る親が増えた。お金を払ってでも、誰かに面倒を見てもらわないといけないという社会に変わってきたのね。

 だから、特に都市部では、サッカー教室だとかスイミングスクールだとか、いろんな教室や習い事がどんどん増えていった。それで、親も子どもの頃はそうだったから、当たり前のように教室に通わせようとするんだろうね。もはや、無料で子どもたちが遊べる社会じゃなくなってきているよね。

 子育て中の夫婦が共働きすることに、僕は反対じゃないんですよ。子どもを自立させていくには、むしろいいことかもしれないし、日本だけじゃなく、世界中のいろんな国でもあることだからね。

 ただ、共働き夫婦の場合、気をつけてほしいのは、子どもと接する時間が少ないということに不必要に責任を感じてしまって、すごく甘やかしてしまう親が多いということ。すると、子どもはその味を覚えてしまう。それで、常に右に左に親を動かすようになっちゃうのね。それは良くないこと。

 それって、飲み会帰りに父親がお土産持って帰るような感覚でしょ(笑)。何とか罪の意識を軽くして許してもらおうっていうような、ね。子どもに悪いことしてるなあっていう思いが心の隅にあって、変に責任逃れをしようと余計なことまでしちゃうのね。共働きだろうが、そうでなかろうが、子どもを甘やかし過ぎるようなことだけはしないようにすべきだね。