家の近くの銭湯通いがスタート
それがいつの間にか、家のお風呂は一人ずつ入るというときがやってくる。第二次性徴期と重なるころで、親子にとって、とてもデリケートなときでもある。
そこで銭湯の登場だ。僕が下宿生だった高校時代にも、銭湯にとてもお世話になった思い出がある。
息子達は小学校からサッカーをやっていた。土日はたいてい練習試合や大会が組まれていたから、親は引率と応援。子どもは泥だらけになるし、親はぐったり。そこで一緒に通い始めたのが銭湯だったというわけだ。
銭湯では汗と涙(うれし涙も悔し涙も)を流して、疲れた筋肉もほぐすことができる。何より、大きな湯船で湯に漬かりながら試合を振り返ったり、時には試合と全く関係ない話をしたりするのがとても大切な時間だった。
家のお風呂ではかなわなくなったことが、銭湯ならできるじゃないか、と再発見。この時期に切れ目なく一緒にお風呂に入っていたおかげで、体の成長も何となく見守ることができたし、銭湯という公共の場で裸になって自分や周りを観察し、考える時間を持てたことは子ども達にとって有意義だったに違いない。
裸で覚える社会のルールは銭湯でしか学べないし、それがとても大事だったりするからだ。