スパイ志望の女の子が、日本のメーカーでOLに

渋澤健さん
渋澤健さん

 まず、大変失礼ながら、彼女が自分の思っていた「学者タイプ」とは違っていたので率直に聞いてみました。そもそも、なぜ大学教授になったのかと。すると、「私は子どものころはスパイになりたかったのよ」という答えが返ってきました。ス、スパイですか……。「そうよ。だって色々と調査ができるじゃない」。なるほど、好奇心がかなり旺盛な女の子だったようです。

 お父様も大学教授であり、学生達が家を訪ねてくることも少なくなく、特に外国人学生との接点は、幼いクリスさんの中に世界への関心を芽生えさせました。でも当時はまだ、米国でも「女性は大人になったら、良い主婦になるように」と教育されていたといいます。

 ハーバード大学でエズラ・ヴォーゲル教授(1979年に高度経済成長における日本的経営を評価した『ジャパン・アズ・ナンバーワン』著者)の指導により、卒業後に来日し、某大手電気メーカーに、いわゆるOLとして就職したクリスさん。「制服を着せられたの。ええ、お茶くみもしたわ」。

 企業にとっては女性の採用は「男性社員のために、良き家柄から良き主婦となる女性を確保するためだった」と、その時代の日本社会の常識を切り捨てます。女性にとっても、就職は“良い人”と出会うことが主な目的であり、候補のターゲットを定めると女性陣の一般的な正攻法は“手編みのセーターを贈ること”だったようです。

 で、クリスさんはセーターを編んだのでしょうかとお伺いしたら、「編み物は私の趣味で好きだったけど」と、その後はコメントいただけなかったので、深追いはしませんでした。

 いずれにしても、若いクリスさんが期待していたような楽しい生活とは程遠い現実に直面したと想像できます。米国へ戻り、スタンフォード大でMBAを修了してから大手コンサルティング会社に就職します。かなりのエリート・コースです。しかし、これも肌に合わず、今度はカリフォルニア大学バークレー校で博士号(PhD)を取得した後、コロンビア大学経営大学院で助教授に就任。そして、外国の若手学者の日本研究を支援する国際交流基金日米センターの安倍フェローシップ・プログラム奨学金を得て、再び来日することに。