細かいこだわりは捨てたら、心の中の「誰か」が気にならなくなった

 頼れる親戚も近くにおらず、私たちはオクサンを外注することでしのいだ。掃除は2週に一度の家事サービスにお願いし、買い物は生協の個別宅配にし、夕方以降に仕事があるときはベビーシッターを頼み、延長保育から帰って食事の支度をする時間がないときは近所のお蕎麦やさんから出前をとった。やるべきことの優先順位を決め、細かいこだわりは捨てた。乾いた洗濯物は畳まずに定位置に積み上げれば片付いているとみなすことにした。

 人がなんと言おうと、そうしないと暮らしが回らないのだからほっといてくれ! という心境だった。やはり常に心の中の「誰か」が眉をひそめるのを意識していたけれど、以前と違って言い返せるようになっていた。「ちょっと、それどころじゃないから、黙ってて!」って。

 子どもが熱を出してもシッターさんに預けて出かけなくてはならないときは本当に辛かった。仕事中に「お熱です」と連絡があってもすぐに迎えに行けないときも辛かった。大きな仕事のチャンスを子供の発熱で逃したことも何度もある。また熱? って職場の人がうんざりするのもひしひしと感じた。早退を申し出たら「こんなにしょっちゅう熱出すなんて、小島の子どもは弱いんだな」と、育児に指一本触れたこともなさそうなオヤジに言われた。「毎晩飲み歩いてるお前が知らないだけで、妻が泣きそうな思いして育ててんだよあほ!!」と言いそうになった。言ってやればよかった・・・。