50歳で区長に就任し、保育園の定員枠を1000人以上増やした
田中大輔・中野区長
DUAL編集部 現在4期目に入っていますが、もともとは中野区の職員でいらしたのですよね。
田中区長(以下、敬称略) はい。北海道の小樽で生まれ、その後札幌に引っ越し、大学進学とともに上京。大学を卒業後、中野区役所に就職しました。それから36年、中野区の仕事をしています。
当時は就職難だったこともあって、公務員を選びました。23区の職員は一括で募集・採用され、希望する区に面接に行って、受かれば採用となります。私は高円寺や中野に住んだこともあり「中央線文化」が好きで、中野区が第一希望でした。やはり区で働くというのは、自分のやったことで区が変わる、地域が変わる。地域社会からすぐに結果が返ってきますし、地域の未来をつくる部分に大きなやりがいを感じています。
―― 区長選挙に立候補したきっかけを教えてください。
田中 2001年、50歳で退職して出馬しました。直前の肩書きは行政改革課長だったんです。中野区の当時の財政は、バブルの「箱もの行政」や「バラマキ福祉」などが原因となり、バブル崩壊後に一気に悪化していました。区政全体のシステムを変革し、スリム化することが、行政改革課長の仕事だったのです。行政改革課長時代に、ある程度の道筋を付けることはできたのですが、まだそのままでは「区民の政治」を実現できないと感じ、薦めてくれる方もいたので、立候補に至りました。
―― 当選後は、ご自身が職員時代に計画した改革を進めていったのですね。
田中 はい、その結果、区政は大きく変わりました。子育て世帯に関係あるところでは、私の就任後、区の保育の定員数を1000人以上増やしました。当時、2002年ごろは子どもの数が減り、利用者が減少傾向にあったため保育園・保育所の定数を減らす傾向にあったのですが、中身を見ると、実は0歳児の枠は足りないなど、いびつな構造になっていたのです。また、保育所の民営化を行政改革課長時代から行ってきました。
次ページから読める内容
- 出版社勤務の妻との共働き。保育園の送り迎えと夕飯作りはほぼ毎日担当
- 官尊民卑の価値観から離れ、「子どものためになることは何か」と考える
- 役所にありがちな「前例踏襲主義」は非効率。常に「これじゃダメだ」と思っていた
- 認可と認証の自己負担額を調整する補助を増額
- 月に2回、区民と区長の対話の場を設け、区への不満を吸い上げる
- 理想は、どの育児サービスを選んでも、好きなときに職場復帰できる環境
- DUAL世代に言いたい 「たくさん子どもを持ってほしい」
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