“学芸会の花形”がメークアップに目覚める
羽生祥子日経DUAL編集長 小林さんは20歳のとき、美容学校へ通うために、10年ぶりに東京に戻られましたね。メークアップに興味を持たれたきっかけは何だったのですか?
小林照子さん(以下、敬称略) 養母が亡くなったころ、私は小学校の給仕として働きながら、併設されていた高校の分校で学んでいました。一方で熱心に取り組んでいたのが、演劇サークルの活動。もともと歌が大好きで、東京にいた小学2年のときに、コーラスのソロパートを歌って喝采を博したこともあります。舞台に上がると度胸が据わるタイプだったのでしょうね。疎開時代も学芸会で脚光を浴び、当時の花形照子という名前と掛けて、“学芸会の花形”と呼ばれていました(笑)。
16~17歳になると、町の有志を集めて演劇サークルを始めたんです。私は東京出身で標準語が話せてプロンプターのような役割もできたので、自然とリーダー的な立場になって。公民館のような集会所で活動を始め、やがて地元の評判になり、あちこちのお祭りの出し物としても呼ばれるようになりました。舞台美術から衣装まで全部自分達で準備していましたが、一番苦労したのがメークアップ。手探りで試行錯誤するうちに、すっかり夢中になってしまった。「演劇のメークアップを仕事にしたい!」と思うようになったのです。