社内で評判を呼び、晴れてメークの先生に
小林 そこで、会社側にはこう伝えました。「話法は教えられません。でも、メークならできます」と。教育部門の先生方がメーク下手なのは知っていました。平面である黒板に書いて説明するだけで、立体である人の顔では一度もメークをしないのですから。私が「メークならできる」と言ったので、試しに初代美容部長を相手にメークを実践することになりました。そしたら、部長がすっごくかわいくなったんです。
日中の業務を終えた夕方の5時から、彼女にメークをする。他の社員もやってきて、その人達にもメークをする。創業者の息子の未来の花嫁にメークをしたこともあります。社内で評判になって、ようやくメークの先生になることができました。
黒板で理論をやったら、必ずその後にデモンストレーションをする。今でもそのやり方を続けています。
―― 山口で20代でヘトヘトになるまで実践していたことを、社内でもすることになったんですね。
小林 でも、それを会社のためとか上司のためと思ってやったことはありません。早く演劇のメークアップアーティストになりたくて、とにかく練習したかった。私の独立のため。その一心でした。
コーセーに入ったのも、メークアップの勉強ができるという考えからです。けれど教えてくれるのは欠点修正法でした。美容学校でも同じでした。人の顔から欠点を見つけ、それを修正するというやり方です。西洋人の顔を理想にしているから、ダメなところばかり。欠点を修正して「標準」の顔にするわけです。
いつの時代も「自分らしく」を望む女性達
小林 でも「標準の顔」を作っていたのでは演劇の世界には行けませんよね。演劇では極端な話、怪物だって作らないといけない。強い個性的な顔を作る世界で頑張りたいのに、みんな普通の顔にしてしまう。それでは意味がありません。
山口の人々は気骨があり進取の気性を持っていたから、私のやり方を受け入れてくれたのだと思う。皆一人ひとり違う顔を作るということが評判を呼んだのです。みんな、自分らしさや個性を求めていたんですね。当時は「普通である、横並びになる」というのが通念だったけれど、実際の人々は自分らしくありたいと思っていたのだと思います。
―― それこそお父様が教えてくれた「時代の先を読む」ということ、時代に迎合するのではなく新たに切り開いていくということですね。
小林 意識していたわけではありませんが、がむしゃらに仕事をしているうちに、それを実践していたのかもしれません。何が何でも夢は手放さず、一方では与えられた仕事を一生懸命にやる。それを続けていれば、いつか必ず夢は実現できると思って、駆け抜けた20代でした。
* 第3回 「小林照子 “芯”を持ち、警戒されるくらいの女に!」へ
(取材・文/井伊あかり、撮影/蔵真墨、編集協力/Integra Software Services)