食べる間も惜しんで一日で100人にメーク

―― ナチュラルメークの生みの親というわけですね! 他の美容部員は口頭だけでセールスをしていたのですか?

小林 そうですね、口で説明すればそれで済む時代でしたから。私は演劇のメークアップアーティストになりたいという気持ちで、できる限り多くの女性にメークをしました。

 1回の出張で、徳山(現・周南市)から入って下関まで、一日1軒ずつ25軒の化粧品店を回ります。店の人もお客をたくさん呼べば私が喜ぶと分かっていて、「今日は30人ですよ」なんて言ってくる。それが50人、80人と増えていく。一日で100人にメークしたこともあります。下関では、島の娘さんがポンポン船で朝一番にやってきて、店の前で待っていることもありました。一日まともに食べる時間も無くメークをし、閉店時間になっても「まだ、大丈夫よ」とお客様を呼び込んだりしていました。

メークアップアーティストの夢を目指して自分流を貫く

―― 20代のころは、体力の許す限り、夢中で仕事に励んだわけですね。

小林 そうです。すべては、自分の夢のため。結果的には売り上げが伸び、本社はそれで判断して「新人だけどよく頑張っているね」という評価でした。3等車で行って25日かけて山口県を回り、いったん東京に戻り精算して教育を受けてまた行くんです。毎月毎月。

 だから恋人ができてもダメ、長続きしない。さすがに疲れ果てて、嫌になったことももちろんありますよ。乗っているバスがどこかにぶつかって、病院にでも入院できたらいいのに……と思ったこともあったくらい。それでも仕事が好き。

―― 仕事が楽しくて仕方ないという感覚、分かります! それにしても、一人だけ違う仕事の仕方をして結果も出しているわけですから、先輩方からの嫉妬はありませんでしたか。

小林 無かったですね。そもそも一人で回っているから、私のやり方を知っているのはお店の人とお客様だけ。当時、資生堂、カネボウ、コーセー、マックスファクター、レブロンがしのぎを削り、特に日本のメーカーの間では熾烈な美容派遣部員競争がありました。化粧品店の人からは「他社とやり方が全然違う」と聞いていたけれど、私は私ですから。人と違っていてもいい。決まった方法論は無いから、自分流でやればいい。私は「メークアップアーティストになりたいので、メークさせてください」という意識でした。