以前、日経DUALでは作曲家・宮川彬良さんに子どもと音楽の関わり方についてお話をうかがいました(「宮川彬良 完全な音だけじゃ音楽の感性は育たない」)。そのとき、公演の様子をレポートした新日本フィルハーモニー交響楽団とのコラボ企画「コンチェルタンテII」が『ファミリーコンサート』として4月3日にすみだトリフォニーホール(東京都墨田区)で開催されます。日経DUAL読者にもぜひ体験してもらいたいコンサートですが、「まだ小さな子どもをつれていくのは不安」という人も多いかもしれません。そこで、今回は運営側の新日本フィルのお母さんスタッフに、子どもとクラシックの楽しみ方についてうかがいました。取材に応じてくれたのは6歳の双子の母親である事業部の桐原美砂さんです。

今回のファミリーコンサートにはピエロが登場して、宮川さんの演奏にいろいろないたずらを仕掛ける趣向も(写真は2014年のファミリーコンサート 写真/堀田力丸)
今回のファミリーコンサートにはピエロが登場して、宮川さんの演奏にいろいろないたずらを仕掛ける趣向も(写真は2014年のファミリーコンサート 写真/堀田力丸)

モノには残らないけれど記憶に残る生の音楽

 まず桐原さんに聞いたのは「生の音楽を子どもに聴かせる意味」について。桐原さんもお子さんを連れて、クラシックだけでなくジャズのライブなどにも出かけるそうです。

――以前、宮川さんにお話を聞いたとき、「クラシックにこだわって、古い音をコレクションするような気持ちで聴いても、あまり意味がない」というお話になりました。

 「クラシック」というカテゴリーはある意味、レコード会社が作ったジャンルわけですからね(笑)。

――また「録音時にミスを修正しているCDの完ぺきな音だけを聴いていても、聴く側のセンサーは磨けない」という話も出ました。実はピアニストの三舩優子さんにお話を伺ったときも、「身近なホールや近くの公民館でもいいから、生の音を聞かせてほしい」と言っていました(「習い事のピアノは『楽しい』『続ける』が一番大切」)。桐原さんは子どものときに生の音を聞かせる意味をどう考えますか。

 生で体験する音楽は、モノとしては残らないけれど、記憶には強く残ると思うんです。

 大人は記憶と結びつけて音楽を楽しむ傾向がありますよね。その曲を聴いた当時にどんなことをしていたかを思いだして、その曲に涙したりする。

 でも、子どもにはそういう記憶がありません。子どもは今、いろいろな小さな経験を積み重ねながら、記憶をためている段階だと思っています。花が咲いたとか、雨が降ったら寒かったとか、寒かったけどその後の虹がきれいだったとか、そういった小さな感動を貯めている。

 音楽もその1つだと思うんです。大勢の人たちが楽器を弾いて音を出している。1つ1つの楽器の形が違うし、音も違う。聴いたことがないくらい大きな音が出て、ホール全体が振動する。たとえ同じ曲を聴いたとしても、スピーカーから出てくる音よりはずっと、五感に強く残ると思うんです。

――スピーカーから流れる音楽は耳から入ってくるだけですからね。

 音楽を聴かせるだけで、その曲を好きにさせるのは難しいですよね。ある意味、「洗脳」みたいなものでしょう(笑)。とはいえ、わが家では、親が好きないろいろな音楽を家で流して、子どもを「洗脳」しようとしているんですけどね。『スター・ウォーズ』や『パルプ・フィクション』のサントラ、木村カエラやレディー・ガガ、マイケル・ジャクソンなどバラバラです。おかげでダース・ベイダーのテーマとヴィヴァルディを口ずさむ6歳児に育ちました(笑)。

 でも、やっぱり生の音楽を聴きに行くほうが、より強く印象に残ると思います。いつもとは違うところに出かけて、人が演奏するのを見ながら、音楽を聴くというのは、やはり特別な、非日常的な体験だからでしょう。

 新日本フィルの他のスタッフからも「子どもの頃、見に行ったウィーン少年合唱団はすごく印象に残っている」「ミュージカルを鮮明に覚えている」という感想が出てきました。やはり「何かを見に行った」という体験は大人になっても印象に残るようです。あるスタッフからは「父の車で聴いた音楽を覚えている」という発言もありましたが、これもある意味、どこかへ行ったという体験ですね。