日本は世界から「児童買春の需要をつくっている国」と見なされていた

 実は、横浜でこの会議が開催されたのは、日本が先進的な存在感を示すという名誉なことではありませんでした。当時、児童ポルノや児童買春の取り締まりという面で、日本には課題があると、1996年に開催された第一回「ストックホルム会議」で指摘されたことが理由だったのだそうです。つまり、日本は児童買春の需要をつくっている国と世界から見なされていたわけです。私は今回、村田さんからそのことを教わり、ショックを受けました。

 日本の日常生活の中では、児童買春と聞いても、異次元の出来事のように感じてしまうのは私だけではないと思います。これは「日本から遠い途上国だけが抱えている問題である」、と。

 しかし、日本でもたった100年ぐらい前では貧困の農村部から娘が売られるという哀しい物語が少なくありませんでした。村田さんによると、彼女達は驚くことに、最終的にインドネシアやマレーシア、インドに売られていたというケースもあったのだそうです。オランダ人やイギリス人の植民地に設けられた売春宿に、日本の女の子達が売られていたという「負の歴史」を、私達、日本人は背負っているのです。

 そういう意味では、その後、先進国となった日本の責任とは、この哀しい問題について「気が付いた人が解決のために動く」ということ。こんな高い志を掲げた村田さんは、大学2年生のときに「かものはしプロジェクト」を立ち上げました。

 途上国の児童買春を抑制するためには、貧困層を経済的に支えることが重要だという点に着眼した村田さんは、当初はタイでIT業界のウェブのプログラミングの仕事をつくることに着手します。しかし、2003年からカンボジアに活動の拠点を移しました。カンボジアは、10年ぐらい前に内戦は終わっていたものの、法整備が未だに不十分で、貧しい状況が続いていたからです。

 ただ、カンボジアでは対象となる女の子達がタイと比べて更に幼く、IT技術での仕事づくりは難しいと判断しました。一方、農村部で仕事をつくれば、そもそも女の子達が都市部へ売られることがないと、村田さんは支援事業の転換を図ります。