光畑 私が授乳服を手掛けるようになったのは、2人目の次女の子育て経験がきっかけです。そもそも次女のときは母乳育児でつまずいちゃって……(苦笑)。おっぱいをあまり飲んでくれなくて、ノイローゼみたいになってしまったんです。2時間もおっぱいを吸わせていたこともありました。そのうち、とうとう禁断の(赤ちゃん用)体重計をレンタルしてしまって……。
辰巳 体重計でどれくらい飲んでいるか計るんだ。
光畑 そう。「体重計はいかん」と本能が言っているのに、あまりにも飲まないから借りちゃったの。そしたら本当に娘の体重が飲んだ後も10gしか増えてなくて、なおさらおっぱいのことで頭がいっぱいになっちゃって。
結局、助産院でアドバイスをもらったらすんなり解決して、それからはつきものが落ちたように万能感がみなぎってきたんだよね。「おっぱいがあるから大丈夫」って、子どもをあちこちに連れていくようになって、起きたのが“中央線事件”。
電車での授乳体験のショック“中央線事件”が、授乳服を知るきっかけに
―― “中央線事件”?
光畑 そのころは今ほど電車に乗る赤ちゃん連れが多くなかったんですよね。でも、当時の私は「何でもできる」って気になっているから、電車で遠くに住む友達を訪ねに行ったんです。そしたら、電車で子どもがギャン泣き。おなかが空いておっぱいが欲しいのは分かるけど、電車だからあげられない。いくらあやしても泣きやまなくて途方に暮れちゃったんだけど、電車を降りるっていう発想も浮かばず……。
とうとう仕方ないからと、白シャツの前ボタンを開けて、電車の中でおっぱいをあげたんです。私は「人前で授乳なんてとんでもない」というタイプだったし、周囲の人からも好奇の目で注目されて、本当につらかった。
辰巳 私は人前で授乳とか全然平気なほうだったけど。でも、さすがにシャツの前ボタンを開けて、電車で授乳は抵抗あるわね。
光畑 上から掛けるケープみたいなものも持ってないから、体をよじってコソコソはするけど隠しようもなくてね。さらに追い打ちだったのが、訪ねた先の友人に話したときに、「えー、信じられない」と言われちゃったこと。彼女は冗談のつもりだったんだろうけど、私はものすごく落ち込んじゃったんです。それがきっかけで、色々調べてみたら「海外では授乳服というのがあるらしい」と。早速それを取り寄せたのが始まりです。