新聞代が払えず、子どもと布団をかぶって居留守をした日

 1000人の応募者から選ばれた3人のうちの1人としてテレビ朝日のアナウンサーの仕事を1973年に始められて、3年目にご結婚。翌年には女の子の誕生に恵まれます。

 しかし、その幸せは冷たい突風に吹き飛ばされます。夫が設立した会社が倒産。住んでいたマンションまで差し押さえられてしまったのです。狭い住まいへ引っ越し、新聞配達が代金回収に訪れると、お子さんと一緒に布団をかぶって、「シー」と静かに配達員が去るまで隠れていたと言います。

 「1700円だったの。今でも覚えてるわ」と明るい表情で話してくれる中村さんの目がやや遠くなりました。「それからね、子どもを乗せたかったけど、買えなかったバギー。これが1万3800円。この値段も覚えてるの」と笑いながらも、当時の心情は今でも忘れることがないようです。

 生活のために番組契約で仕事に復帰。自分が選んだ男性だからと支えた夫は再び会社を興します。ところが、また、この会社が倒産。既に立ち上げていたポピンズを差し押さえから守るために、中村さんと夫はペーパー上の離婚をします。

 しかし、家族として一緒に生活し続けていた、とある正月。娘さんが熱を出しているのにもかかわらず、仕事だと言ってサッと出張に出かけてしまった夫。そして、その後になって発覚した夫の裏切り。「さすがに、プッチンと切れたわ」と心での離婚が成立したと言います。

 お若いころから女子アナという華麗な生活を送られていたと思っていたので、ご自身から過去の実相を伺って驚きを隠せませんでした。

 「でもね、私は当時から決めていたの。泣きたいと思っているときでも、私は絶対に泣き顔を見せない。怒っているときでも、絶対に怒った顔を見せない。自分で自分を演出するの」

 なるほど。「怒」を原動力とする中村パワーの秘訣は、ここにありそうです。