わが子が生まれた喜びに目を奪われ、妻の気持ちが見えなくなっていた私
喜び。気持ちがぱっと晴れる喜びの快さは、まさに生きることの醍醐味です。
私にとって、その最上の喜びは、自分の子どもが無事に生まれたことでした。小さなわが子をそっと抱くと、喜びのぬくもりが心の中から湧き上がって全身を包み、そのちょっと前まで出産で苦しんでいた妻の顔の表情も穏やかになり、天使のようなほほ笑みが浮かんでいました。この小さな赤ちゃんの存在で、私達3人は「家族」になったんだなと実感しました。
でも私は、その喜びを胸に、すぐに職場に戻ってしまったのです。子どもと妻を病室に残して……。
それからの3年弱の間に、2回、同じ喜びを体験し、毎回、子どもと妻を残して、自分は日常の仕事へと戻っていきました。一方、妻の日常生活は、子どもの誕生により激変していきました。
当時を振り返ってみると、私は父親になったという自分の単純な喜びに目を奪われ、妻の気持ちが見えていなかったかもしれません。NPO法人マドレボニータの代表理事の吉岡マコさんのお話をお伺いしながら、私はそう思いました。
吉岡さんからご指摘を受けて、私はちょっと目が覚めました。母親となった女性は必ずしも100%の喜びに満たされない場合があるというのです。
ややファンキーな風貌で、いつもすてきな笑顔を振りまいて周囲を和ませてくれる吉岡さんですが、17年前に出産された後の体のつらさに悩まされたと言います。しかも、産後の母体の回復をサポートしてくれる制度やサービスは、当時、ほとんど何もありませんでした。